人間の根源的なところを揺らすようなことは
絶対やらなきゃいけない。

遠藤麻衣子 #映画監督

なぜこの企画を引き受けてくれたのですか?

ネットで中森さんの作品とか見て良いなって思ったのと、面構え。この人は、このままやってくんだろうなって思ったので引き受けました。写真を撮られるのはあんま得意じゃない。私は撮る方だし、撮られた写真はインターネットに一生残るからって思うと、どうせならなるべく少なく良いものって方が。

ありがとうございます(笑)ご家族も映像関係の仕事をなさっているとお聞きしましたが、クリエイティブなご家庭で育ったのですか?

いや、全然普通の家。多分あるとしたら、曾おじいちゃんが台湾で戦前写真館をやっていて、木村伊兵衛とかが勉強していたみたい。唯一、繋がりがあるとしたら、そこかな。

高校生の時から映像を撮り始めたとか?

そう。家にあった Hi8 のビデオカメラで友達を撮影していました。ただただ撮っているだけ。今この時を撮っておこうみたいな。ただ面白かった。そのテープはまだ NY にあるかも、まだ荷物は向こうに置きっぱなしだから。

なぜ海外に行こうと思ったのですか?

映画を作りたくて海外に行った。日本に行きたい大学もなかったし、日本を出た方がいいと思ってた。色々、くだらないことや納得できないことってあるでしょ? それで怒られたりする。このまま日本にいたら出る杭打たれるじゃないけど、そうなっていくんだろうなと思って、これじゃヤバいからアメリカに行こうって。とりあえず行った。NY の映画学校の学費は高い。年間300万くらい。そこまでして大学に行くのもって思い……要するに何も考えてなかったんだよね。普通は映画を勉強したいなら大学入るのに300万かかるとかどうのこうのって全部調べてから行くと思うんだけど、行ってから調べ始めたから……いい加減だったんだと思います。

語学は勉強してから行かれたんですか?

英語は全く喋れずに行って、単語だけは勉強して行ったけど、全然喋れなかった。コミュニケーションも全然できなかったけど、向こうに行って1年くらいかな?アメリカ人の仲いい友達ができて、そうしたら一気に喋らなきゃいけなくなって、そこで結構喋れるように。自分の頭の中で言葉を訳しながら話さなくなるまでには5年くらいかかったけどね。

語学学校にいる間はどのような活動をしていたのですか?

普通に遊んでた。元々、音楽ができたからバンド活動もしたり、オーケストラもやってた。街のオーケストラがあって、そこで。そういう活動のおかげでアーティストビザが取れた、バイオリニストで。生きる術としてバイオリンを弾いてた。

日本に戻ってきた理由は何ですか?

戻ってきたというか、色々あって最後は国から追い出された。一生、入れないんだもん。けどアカデミー賞にノミネートされたら入れるらしい(笑)。

映画との触れ合いってどの様にされていたのですか?

NY に Kim’s Video & Music っていう伝説的なビデオ屋があって、そこに毎日通って。そしたらそこで友達もできて、店員ともどんどん仲良くなってビデオもタダで貸してくれるようになって。それで映画仲間ができた。

映画の作り方は独学ですか?

独学。映画を見まくっただけ。私の場合はプロデュースも自分。全部やらないといけないから衣装も自分で縫ったし。編集も自分で撮影したものをとにかく繋げるところから始めた。やってりゃあ何とかなる。けど『KUICHISAN』の時は苦労した。ストレートなやり方がわからないから。『KUICHISAN』の編集はすっごく時間がかかって、1年10ヶ月くらいかかった。

1作目と3作目で撮影監督をされているショーン(ショーン・プライス・ウィリアムズ)がいますが、撮影監督はどの様な役割ですか?

私の場合は固定で撮るときはポジションは自分で決める。そして、彼にそれを撮ってもらう。固定じゃないときは、だいたいこういう感じのが欲しいって伝えて彼に任せる。映画ってBロールってのがあるんだけど、これが欲しいって私が言ってない、ちょっとした偶然で街で見たものとか、こういうのがあったら良いかもってのを優秀な撮影監督は映画に合わせてパパッと撮っておいてくれる。だから、撮影するだけじゃなくて内容にも関わってくる可能性がある。優秀であればあるほど。
いろんなタイプがあるけどね。ショーンは自分でも監督をしているからビジョンが強くてクローズアップが得意。あと映画オタク。

フィルム(SUPER 8)を使うのは、どんなときですか?

SUPER 8 は瞬間の光とか全てバチッと来たときに使う。フィルムの方が向いている画とか光があるんで、そこでしかない。光かな。そこが判断基準。
フィルムのモノクロとカラーを選ぶものも同じ感覚で、ロジカルにモノクロとカラーを選ぶわけじゃなくて、本当にその時の感覚。
『KUICHISAN』は元の元を撮った時はモノクロで撮ってた気がする。

フィルム好き?

別にフィルム好き、フィルム派、ではないんだけど、やっぱり光の捉え方が全く違う。でも撮ってるって感じはあるよね、すぐ見えないし。マジカルに感じるときもあるけど、デジタルにもマジカルを感じることはあるんで、一概にフィルムが良いとは言えない。

映画のお金ってどうやって手に入れるのですか?

プロデューサーがいればお金を持ってきてくれるんだけど、そんな最初からプロデューサーなんていないから助成金を申請してみたり、自分の資金で最初はなんとか作る。で、そのうちプロデューサーが付いてきて……みたいな。助成金は最初の『KUICHISAN』は同じ所から2回もらっていて私は実績がなかったんだけど、日本映画が珍しかったのと出来たばかりの所だったから、すっと入れた。助成金は企業や映画助成団体、あとは個人からの資金援助など色々なパターンがある。助成団体は基本的には映画に口は出さない。海外の方が助成金の団体は多い。私の理想は日本にも海外にもプロデューサーがいて、どちらからも助成金を得ながら映画を撮れるってのが一番。でもすごく難しくて、本当に相性のいいすごいプロデューサーに出会うことほど難しいことはない。恋人と出会うくらいの感じ。

海外の方がチャンスはあると思いますか?

チャンスってなんだろう。チャンスはチャンスでしかないから。日本でも撮りたい映画を撮れるのは0%ではないから、変なチャンスが転がり込むこともあるし。一概には言えない。要するに、できるかできないかの差で、映画を作りたいって言っている人もいっぱいいるし、資金がどうのこうのって話はすごく聞くんだけど、結局、その作品を作れたかどうかが全てで、そこに行くまでに何を通ってきたかは関係ない。気合い、な気がする。

『KUICHISAN』の時はどの程度の予算がかかったのですか?

900万くらいかな?それでも安くて、例えばアメリカのインディペンデント映画で成功している監督で2億円くらい。それでも小規模。ハリウッドは何十、何百億の規模になるからね。日本のインディペンデントだと長編映画で300万くらいもあるんじゃないですか? 日本は悲惨だと思う。

『TECHNOLOGY』のロケ地はどの様な縁で選ばれたのですか?

沖縄とかインドとか並びで撮ってる監督、自分じゃなかったらすごい嫌だなって思う。インドとかも最初は行きたくなくて。「絵になるインド」とか、あのいかにもなイメージが大っ嫌い。だけど、単純に主役の女の子の名前がインディアだからインドに。彼女の名前もインドに由来があったから。結局、3回行って。行きたくなかったけど、今まで行った中で一番いい旅ができた。でも『TECHNOLOGY』は金銭的に恵まれなくて本当に大変だった。1作目ってビギナーズラックじゃないけど、なんかうまくいくんだよね。お金の面も含めて全部。『TECHNOLOGY』は作ってから作品を発表するのに時間がかかった。

全てを自分でやる。それに至った理由は何ですか?

ある意味恵まれてなかったからだけだと思う。自分でやるしかなかった。サポートがあれば人に任せられたかもしれないけど、結局、自分でやればお金を払わずに済むし。インディペンデントでやるにはそれしかなかった。

遠藤さんの作品はアートですか?映画ですか?

どっちでもいい。

監督とはどんな役割だと思っていますか?

自分の役割としては、私が才能あるなって思う人を集めて繋げるだけ。それが仕事だと思ってる。自分の動機に基づかない行動は得意じゃないし、興味がないと何もできない。映画もそこに自分なりの惹かれるものがあるから撮っているけど、それがなくなったら撮らない。

気合いで3作を作れた力はどこから来るのですか?

映画監督って感覚がおかしくないとできない。私はとにかく動き出しちゃう。それだけを見ちゃうから、洋服も買わないしアイスを買うのも躊躇する。覚悟の問題。自分でも不思議。ほんと皆さんの協力があってできている。本当にありがたい。何か変なことやってんなーって面白がってくれて、協力してくれてるんだと思う。自分のプロジェクトは本当に少ない金額でお願いするしかないけど、すごいところで仕事してる人ほどお金じゃないのかもなと、その人たちを見てると思う。職業、映画監督って言えないんじゃないかな。それだけで食べるとか、そこまでいってないから。

3作目まで駆け抜けて次は4作目ですが、思うことはありますか?

10年前の自分とかすごく生意気だったと思うし、とんでもないクソ野郎。やっとそういうことがわかってきた。人間に恵まれてきた。私はすごく飽き性なんだけど、何で映画を続けられてるかって、ロケハンとかのプリプロダクションと制作の時期と編集の時期は全くやっている内容が違って、自分的にも違うモードになるから続けられる。撮影してた時の写真を見て幸せだったんだなーって思う。人に囲まれてるじゃないですか、撮影中は。それ以外は孤独だから。
あとは映画ってこわい。マインドコントロールなので何でも植えつけられるし、だから自分の作品では、それを悪い方向には行かないようにリードしてかなきゃと常に思っています。自分ではそう思っていても、無意識で悪のパワーを持つこともあるかもしれない。
私には何もない、けど正直ではある。テクニックがあるわけでもないし、すごく文脈的なロジカルさがあるわけでもない。正直なだけ。できないことはできないし、やりたくないことはやらない。自分の中は、ある意味何もないから、どんなに考えても考えた風にならないしプラン通りにいかない。けど、本当に天から与えられたものを与えられた瞬間に、これだってものに行く力はあるなと思います。

将来したいことはありますか?

宇宙に行ってみたい。
作品的なことを言うと、人間の根源的なところを揺らすようなことは絶対やらなきゃいけない。

次回作についてお聞かせください。

今作に続き、次も東京です。元々、東京で育っているけど、まだ東京は撮ってなかったので。自分の育った東京で撮らなきゃいけないなって思っていて。今後のチームづくりのために1個、タイミング的に作っておかなきゃって思ったのが『TOKYO TELEPATH 2020』。次回作は2023年にできていたらラッキーです。

遠藤 麻衣子
1981年、ヘルシンキ生まれ。東京で育つ。2000年に東京からニューヨークへ渡り、バイオリニストとして、オーケストラやバンドでの演奏活動、映画のサウンドトラックへの音楽提供など音楽中心の活動を展開した。2011年日米合作長編映画『KUICHISAN』で監督デビューを果たす。同作は、2012年イフラヴァ国際ドキュメンタリー映画祭にてグランプリを受賞。2011年から東京を拠点に活動し、日仏合作で長編二作目となる『TECHNOLOGY』(16) を完成させた。本年、新作中編『TOKYO TELEPATH 2020』がロッテルダム国際映画祭に正式出品。
現在、東京での長編三作目を準備中。

『TOKYO TELEPATH 2020』
10/10(土)〜10/30(金)までシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
過去作『KUICHISAN』『TECHNOLOGY』も併映
公式HP www.kuichi-tech2020.com

Photo:Makoto Nakamori, Masaou Yamaji
Text:Makiko Namie, Makoto Nakamori

人間の根源的なところを揺らすようなことは
絶対やらなきゃいけない。

遠藤麻衣子 #映画監督

なぜこの企画を引き受けてくれたのですか?

ネットで中森さんの作品とか見て良いなって思ったのと、面構え。この人は、このままやってくんだろうなって思ったので引き受けました。写真を撮られるのはあんま得意じゃない。私は撮る方だし、撮られた写真はインターネットに一生残るからって思うと、どうせならなるべく少なく良いものって方が。

ありがとうございます(笑)ご家族も映像関係の仕事をなさっているとお聞きしましたが、クリエイティブなご家庭で育ったのですか?

いや、全然普通の家。多分あるとしたら、曾おじいちゃんが台湾で戦前写真館をやっていて、木村伊兵衛とかが勉強していたみたい。唯一、繋がりがあるとしたら、そこかな。

高校生の時から映像を撮り始めたとか?

そう。家にあった Hi8 のビデオカメラで友達を撮影していました。ただただ撮っているだけ。今この時を撮っておこうみたいな。ただ面白かった。そのテープはまだ NY にあるかも、まだ荷物は向こうに置きっぱなしだから。

なぜ海外に行こうと思ったのですか?

映画を作りたくて海外に行った。日本に行きたい大学もなかったし、日本を出た方がいいと思ってた。色々、くだらないことや納得できないことってあるでしょ? それで怒られたりする。このまま日本にいたら出る杭打たれるじゃないけど、そうなっていくんだろうなと思って、これじゃヤバいからアメリカに行こうって。とりあえず行った。NY の映画学校の学費は高い。年間300万くらい。そこまでして大学に行くのもって思い……要するに何も考えてなかったんだよね。普通は映画を勉強したいなら大学入るのに300万かかるとかどうのこうのって全部調べてから行くと思うんだけど、行ってから調べ始めたから……いい加減だったんだと思います。

語学は勉強してから行かれたんですか?

英語は全く喋れずに行って、単語だけは勉強して行ったけど、全然喋れなかった。コミュニケーションも全然できなかったけど、向こうに行って1年くらいかな?アメリカ人の仲いい友達ができて、そうしたら一気に喋らなきゃいけなくなって、そこで結構喋れるように。自分の頭の中で言葉を訳しながら話さなくなるまでには5年くらいかかったけどね。

語学学校にいる間はどのような活動をしていたのですか?

普通に遊んでた。元々、音楽ができたからバンド活動もしたり、オーケストラもやってた。街のオーケストラがあって、そこで。そういう活動のおかげでアーティストビザが取れた、バイオリニストで。生きる術としてバイオリンを弾いてた。

日本に戻ってきた理由は何ですか?

戻ってきたというか、色々あって最後は国から追い出された。一生、入れないんだもん。けどアカデミー賞にノミネートされたら入れるらしい(笑)。

映画との触れ合いってどの様にされていたのですか?

NY に Kim’s Video & Music っていう伝説的なビデオ屋があって、そこに毎日通って。そしたらそこで友達もできて、店員ともどんどん仲良くなってビデオもタダで貸してくれるようになって。それで映画仲間ができた。

映画の作り方は独学ですか?

独学。映画を見まくっただけ。私の場合はプロデュースも自分。全部やらないといけないから衣装も自分で縫ったし。編集も自分で撮影したものをとにかく繋げるところから始めた。やってりゃあ何とかなる。けど『KUICHISAN』の時は苦労した。ストレートなやり方がわからないから。『KUICHISAN』の編集はすっごく時間がかかって、1年10ヶ月くらいかかった。

1作目と3作目で撮影監督をされているショーン(ショーン・プライス・ウィリアムズ)がいますが、撮影監督はどの様な役割ですか?

私の場合は固定で撮るときはポジションは自分で決める。そして、彼にそれを撮ってもらう。固定じゃないときは、だいたいこういう感じのが欲しいって伝えて彼に任せる。映画ってBロールってのがあるんだけど、これが欲しいって私が言ってない、ちょっとした偶然で街で見たものとか、こういうのがあったら良いかもってのを優秀な撮影監督は映画に合わせてパパッと撮っておいてくれる。だから、撮影するだけじゃなくて内容にも関わってくる可能性がある。優秀であればあるほど。
いろんなタイプがあるけどね。ショーンは自分でも監督をしているからビジョンが強くてクローズアップが得意。あと映画オタク。

フィルム(SUPER 8)を使うのは、どんなときですか?

SUPER 8 は瞬間の光とか全てバチッと来たときに使う。フィルムの方が向いている画とか光があるんで、そこでしかない。光かな。そこが判断基準。
フィルムのモノクロとカラーを選ぶものも同じ感覚で、ロジカルにモノクロとカラーを選ぶわけじゃなくて、本当にその時の感覚。
『KUICHISAN』は元の元を撮った時はモノクロで撮ってた気がする。

フィルム好き?

別にフィルム好き、フィルム派、ではないんだけど、やっぱり光の捉え方が全く違う。でも撮ってるって感じはあるよね、すぐ見えないし。マジカルに感じるときもあるけど、デジタルにもマジカルを感じることはあるんで、一概にフィルムが良いとは言えない。

映画のお金ってどうやって手に入れるのですか?

プロデューサーがいればお金を持ってきてくれるんだけど、そんな最初からプロデューサーなんていないから助成金を申請してみたり、自分の資金で最初はなんとか作る。で、そのうちプロデューサーが付いてきて……みたいな。助成金は最初の『KUICHISAN』は同じ所から2回もらっていて私は実績がなかったんだけど、日本映画が珍しかったのと出来たばかりの所だったから、すっと入れた。助成金は企業や映画助成団体、あとは個人からの資金援助など色々なパターンがある。助成団体は基本的には映画に口は出さない。海外の方が助成金の団体は多い。私の理想は日本にも海外にもプロデューサーがいて、どちらからも助成金を得ながら映画を撮れるってのが一番。でもすごく難しくて、本当に相性のいいすごいプロデューサーに出会うことほど難しいことはない。恋人と出会うくらいの感じ。

海外の方がチャンスはあると思いますか?

チャンスってなんだろう。チャンスはチャンスでしかないから。日本でも撮りたい映画を撮れるのは0%ではないから、変なチャンスが転がり込むこともあるし。一概には言えない。要するに、できるかできないかの差で、映画を作りたいって言っている人もいっぱいいるし、資金がどうのこうのって話はすごく聞くんだけど、結局、その作品を作れたかどうかが全てで、そこに行くまでに何を通ってきたかは関係ない。気合い、な気がする。

『KUICHISAN』の時はどの程度の予算がかかったのですか?

900万くらいかな?それでも安くて、例えばアメリカのインディペンデント映画で成功している監督で2億円くらい。それでも小規模。ハリウッドは何十、何百億の規模になるからね。日本のインディペンデントだと長編映画で300万くらいもあるんじゃないですか? 日本は悲惨だと思う。

『TECHNOLOGY』のロケ地はどの様な縁で選ばれたのですか?

沖縄とかインドとか並びで撮ってる監督、自分じゃなかったらすごい嫌だなって思う。インドとかも最初は行きたくなくて。「絵になるインド」とか、あのいかにもなイメージが大っ嫌い。だけど、単純に主役の女の子の名前がインディアだからインドに。彼女の名前もインドに由来があったから。結局、3回行って。行きたくなかったけど、今まで行った中で一番いい旅ができた。でも『TECHNOLOGY』は金銭的に恵まれなくて本当に大変だった。1作目ってビギナーズラックじゃないけど、なんかうまくいくんだよね。お金の面も含めて全部。『TECHNOLOGY』は作ってから作品を発表するのに時間がかかった。

全てを自分でやる。それに至った理由は何ですか?

ある意味恵まれてなかったからだけだと思う。自分でやるしかなかった。サポートがあれば人に任せられたかもしれないけど、結局、自分でやればお金を払わずに済むし。インディペンデントでやるにはそれしかなかった。

遠藤さんの作品はアートですか?映画ですか?

どっちでもいい。

監督とはどんな役割だと思っていますか?

自分の役割としては、私が才能あるなって思う人を集めて繋げるだけ。それが仕事だと思ってる。自分の動機に基づかない行動は得意じゃないし、興味がないと何もできない。映画もそこに自分なりの惹かれるものがあるから撮っているけど、それがなくなったら撮らない。

気合いで3作を作れた力はどこから来るのですか?

映画監督って感覚がおかしくないとできない。私はとにかく動き出しちゃう。それだけを見ちゃうから、洋服も買わないしアイスを買うのも躊躇する。覚悟の問題。自分でも不思議。ほんと皆さんの協力があってできている。本当にありがたい。何か変なことやってんなーって面白がってくれて、協力してくれてるんだと思う。自分のプロジェクトは本当に少ない金額でお願いするしかないけど、すごいところで仕事してる人ほどお金じゃないのかもなと、その人たちを見てると思う。職業、映画監督って言えないんじゃないかな。それだけで食べるとか、そこまでいってないから。

3作目まで駆け抜けて次は4作目ですが、思うことはありますか?

10年前の自分とかすごく生意気だったと思うし、とんでもないクソ野郎。やっとそういうことがわかってきた。人間に恵まれてきた。私はすごく飽き性なんだけど、何で映画を続けられてるかって、ロケハンとかのプリプロダクションと制作の時期と編集の時期は全くやっている内容が違って、自分的にも違うモードになるから続けられる。撮影してた時の写真を見て幸せだったんだなーって思う。人に囲まれてるじゃないですか、撮影中は。それ以外は孤独だから。
あとは映画ってこわい。マインドコントロールなので何でも植えつけられるし、だから自分の作品では、それを悪い方向には行かないようにリードしてかなきゃと常に思っています。自分ではそう思っていても、無意識で悪のパワーを持つこともあるかもしれない。
私には何もない、けど正直ではある。テクニックがあるわけでもないし、すごく文脈的なロジカルさがあるわけでもない。正直なだけ。できないことはできないし、やりたくないことはやらない。自分の中は、ある意味何もないから、どんなに考えても考えた風にならないしプラン通りにいかない。けど、本当に天から与えられたものを与えられた瞬間に、これだってものに行く力はあるなと思います。

将来したいことはありますか?

宇宙に行ってみたい。
作品的なことを言うと、人間の根源的なところを揺らすようなことは絶対やらなきゃいけない。

次回作についてお聞かせください。

今作に続き、次も東京です。元々、東京で育っているけど、まだ東京は撮ってなかったので。自分の育った東京で撮らなきゃいけないなって思っていて。今後のチームづくりのために1個、タイミング的に作っておかなきゃって思ったのが『TOKYO TELEPATH 2020』。次回作は2023年にできていたらラッキーです。

遠藤 麻衣子
1981年、ヘルシンキ生まれ。東京で育つ。2000年に東京からニューヨークへ渡り、バイオリニストとして、オーケストラやバンドでの演奏活動、映画のサウンドトラックへの音楽提供など音楽中心の活動を展開した。2011年日米合作長編映画『KUICHISAN』で監督デビューを果たす。同作は、2012年イフラヴァ国際ドキュメンタリー映画祭にてグランプリを受賞。2011年から東京を拠点に活動し、日仏合作で長編二作目となる『TECHNOLOGY』(16) を完成させた。本年、新作中編『TOKYO TELEPATH 2020』がロッテルダム国際映画祭に正式出品。
現在、東京での長編三作目を準備中。

『TOKYO TELEPATH 2020』
10/10(土)〜10/30(金)までシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
過去作『KUICHISAN』『TECHNOLOGY』も併映
公式HP www.kuichi-tech2020.com

Photo:Makoto Nakamori, Masaou Yamaji
Text:Makiko Namie, Makoto Nakamori