社会に接点がない表現って僕はあんまり興味がないし、
それはアートじゃないと思います

藤木洋介 #キュレーター

藤木さんの出身はどちらですか?

広島生まれです。

どんなご家庭で育ちましたか?

普通の家庭ですよ。父親が映画の配給の営業とか現場とかやっていて。明け方に帰ってきて玄関で寝てるような親父でしたけど、酔って(笑)。親父は映画と音楽がすごい好きでウイスキーも好きでした。カッコつけてたんだと思います。母は看護婦なんで、家に人がいなくて、兄も5つ離れてるから、僕は自由に過ごして。ラップに巻かれたご飯と千円が置いてあるような家でした。もちろん両親のことは尊敬しています。

学生時代は何をして過ごされてました?

普通の子だと思うんですけどねー。部活は入らずに帰宅部でした。1個上の悪い先輩たちとスケボーしてましたね。中高はずっとスケボーしてました。旧広島市民球場の裏にスケートパークがあったんで、そことかで。

学生時代のカルチャーのインプットはどうしてましたか?

「411Video」とか「Thrasher Magazine」を見て情報をインプットしたり。ネットとかなかったんでスケボーの技とかはビデオを見てましたね。好きだったのは、マーク・ゴンザレスかな、やっぱり。新しかったんすよね。ライブハウスにもめちゃくちゃ行ってたし。あとクラブとかかな? 広島は音楽文化が根付いてるんですよ。奥田民生、Perfume、矢沢永吉とか、広島出身ですし。

どんな音楽やファッションを好んでましたか?

なんでも聴いてました。元々、レゲエとパンクが好きで。13、4歳でボブ・マーリーが好きな子でしたね。スケーターたちは、ませてて自由だったから。学校も行ってないし。音楽もグラフィティも近くにあるし、ファッションは90年代のファッションでしたね。STUSSYやリーバイスを履いてスケボーしてました。

何で学校行かなかったんですか?

つまんなくて(笑)。自分が好きなことやってる方が楽しくて、答えがあるものを教えてもらうのが面白くなくて、だから今もアートの仕事してるんだと思うんですけど。教えられるのが得意じゃない。今思うとめっちゃ教えて欲しいことはありますけど(笑)。

影響を受けたアートって何ですか?

父の映画、スケート、音楽も好きだったし、いまだにアートって言ってるけど扱ってるものは広義なんすよ。ファションもやるし。アートっていう言葉がふさわしいか分かんないですけど、アートは「自由なもの」って基本的に定義しているんで、そう意味では写真とか絵画に捕らわれずに色んなことをやっていますね。

上京された理由はなんですか?

1999年に上京したんすけど。初動はそれこそボブ・マーリーが好きでジャマイカに行きたくて、ですね。バイトしまくってお金貯めたんすよ。かなり貯めましたね。それでとりあえず東京に行こうと思って。でも東京で遊んでたら、そのお金がなくなって……働こうって思ってBEAMSに入ったんすよ。21歳の頃ですね。BEAMSはアートもやってたし音楽も色々なことやってたし、この会社面白そうだな~って思って入りました。BEAMSの人は個性が強くて面白かった。

B GALLERYにはどの様な経緯で入られたんですか?

BEAMSに最初入った時は、原宿のBEAMS Fってところでスーツの販売してて。その後、社員になってInternational Gallery BEAMSに移動になるんすよ。そこで1年半くらい働いてたら、B GALLERYのアシスタントやってみないかって声かけてもらってですね。それで新宿に行きました。アートが好きだしB GALLERYも見に行ってたりしたんですけど、そういうのもあって。人足りなくて呼ばれたんだと思います。2005、6年の頃から参加しました。

B GALLERYに参加してみてどうでしたか?

面白い人も毎回来るし、アーティストとも仲良くなるし、仕事以外が楽しかったですね。店に来るお客さんとも仲良くなったり。ツテを増やしましたね。今でも付き合いあるアーティトはたくさんいますよ。付き合うと長いんで、僕。
昔、アシスタントだった頃に販売とか現場を見てた時は、作品が売れたら、そのお客さんの家まで行って飾るところまでやってましたよ。人の家に入って壁に穴を開けさせてもらって。お客さんも喜んでくれるし。それでもう一回、藤木から買おうとかなったり。嬉しいですよね。楽しかったな。

B GALLERYのディレクターになる、きっかけは何ですか?

働いていたら自然と、ですかね。向いてると思われたんじゃないかなぁ。それでやらないかって。基本的にファッションの会社なんで、アートがすごく好きな人はそんなにいなくて。それまでのB GALLERYはファッションだったりサブカルチャーを中心に企画しててアートはあまりやってないっていうか、イベント要素が強かったんですよね。トークショーやったりとか、写真とかを始めたのは僕が最初ですね。それまでは、展示してるだけだったんですよね。自分で早く企画したいと思っていましたし、企画はアシスタントの頃から出してたと思います。

色々なアーティストや写真家と知り合う方法は?

情報のインプットは、人づてに聞いたり歩いてて面白そうだなと思ったら入ってみる。頭で考えるよりも先に動くタイプなんで、行動力で見つけてきたんだと思います。
写真家に興味が出たのは同世代として活躍する大和田良さんの影響があるのと、2008年に「StairAUG.photographics 08s」って企画展やったんですよ。「StairAUG.」っていうのは大和田さんが工芸大の人とチーム組んでて、その中に岡田敦さんがいて。
岡田さんが「I am」って写真集を2007年に赤々舎から出してて、その企画展のオープニングの日に木村伊兵衛写真賞を受賞したんですよ。それまで写真とか全然知らなかったんですが、それが縁で授賞式に行ったら写真の人たちと仲良くなって。写真の人は酒飲むしコミュニケーション能力が高いんすよね。例えば、画家って一人で描くから普段喋らない人が多いし、図録もそんなに頻繁には出さない。20年に1冊とかだから。でも写真家は写真集も、どんどん出すし。いろんな人と仲良くなりました。僕は写真家から写真を教えてもらいましたね。

アートはどうやって勉強したんですか?

全然、学校も行ってなかったんで勉強は本と展覧会鑑賞です。独学でしたね~。やっぱネットは事実がどうかわからないんで本を読み漁り、とにかく展覧会に足を運びました。初めて買った写真集はそれこそ「I am」ですかね。元々、ゴッホが好きなので。絵画とか彫刻に興味があって、写真は遅かったですね。

B GALLERYで扱ってきたアーティスト に共通することって何ですか?

その人の表現が芯を食ってる。本質を抜いてるか。自分の表現に対して理由がしっかりある人。うまく言葉に出来ない人もいるので、とりあえず会いますね。

企画のアウトプットはどんな考えを持って取り組んでいますか?

この人のこの部分を出したら面白いかなって考えます。表現が面白いっていうことだけでなく、その人の表現を通して見る人に何か伝えることができるのか? っていうのは考えます。アートは社会貢献だと思ってるんで、社会に接点がない表現って僕はあんまり興味がないし、それはアートじゃないと思います。

会社がやっているギャラリーに対して、どう思っていましたか?

非常に言いにくいんですけど、この人を取り扱ったら人が来てくれるって考え方は二の次ですね。その人が好きだから、作品を展示したくて企画する。人が呼べるからって動機は全くなかったですね。設楽社長が守ってくれました。BEAMS自体がセレクトショップって言っていた時代から、カルチャーショップっていう言葉に変わっていって、商品を売るだけじゃなくて背景にある物事や出来事を紹介したいって方向に変えていった。前社長(設楽悦三)も芸術に興味があって、設楽一族が芸術や文化を守ろうっていう姿勢があるから、僕に好き勝手やらせてくれました。本当に感謝しています。

アートは買いますか?

若い頃に空山基さんの絵とか頑張って買いました。よく勘違いされるんですけど、所有力はないんです。アートをいっぱい買ってコレクションするっていう気は一切ないんですよね。洋服もそうで、いつも同じものをずっと着てる。むしろ、あげちゃう方です。執着がない。作品に執着しすぎるというのは、この仕事は向いていな気がします。それじゃないと年間15本とかできないんですよね。ある程度、あっさりというか、離れていないと。

展覧会のときはどんな心境ですか?

作品が売れないとアーティストは収入がゼロなんで、いつもプレッシャーがあります。僕はアーティストの絶対的な味方だけど、売れなければ続けられない。洋服は基本的に買い取りなんでセールとかにできますけど、アートは違う。

アートを買う人は増えていると思いますか?

増えていると思います。今は若い人もアートを買ってる気がします。金額は安いですけど。むしろ服を買わなくなってるんじゃないかな。人気があるのはイラストなどの安価で小さいもので、今は自宅のZoomの背景に、ちょっと飾ったりするんだと思います。コロナの最中も売れないと思ってたんですけど、想像以上に売れていました。

作品の売れる売れないの判断はわかりますか?

これは売れそうだなって思って、いざ始まると売れなかったり。逆に売れないと思ったたら売れるなんてことは、めちゃくちゃありましたよ。いまだに全然わかんない。わかっている人はいないと思います。わかんないのが楽しいし。まぁ、日本は有名じゃないと売れないってことは、いまだにありますけどね。

年間に12〜16本やる熱量はどこからくるのでしょうか?

前担当者は年間12本やっていて。1ヶ月に1本だと間延びするんですよね。それで3週間くらいに1本ペースに変えてたらちょうどいいと思って、単純な考えです。準備はめちゃくちゃ大変で本当に休みなく働いてました。本数を増やすというのは誰にも頼まれていないし、好きだからできてました。楽しかったんです。休むって必要ない人間なんで(笑)、それもあるかも。

B GALLERYでやった展覧会の中で印象深い展示はありますか?

たくさんありますが強いて言えば、ゴッホやピカソの絵画作品を修復してきた岩井希久子さんの展覧会はすべてが挑戦でした。もともと絵画が好きだということもありますが。何百年前の絵画を今、僕等が見れるのは、修復家が保存修復とかメンテナンスをしてくれてるからで、それに気づいてて。でもそれは黒子の仕事なんですよね。黒子の人たちの中で一流の人はたくさんいるんですよね。影の人を表に紹介することで、自分たちが見ることができる絵画の恩恵とか、残していく意味とか、なくなることが自然だとする考えもあると思うので、それについて考えを巡らすって面白そうだなって思って。最初は断られたんですけど、何度も交渉しました。僕はズケズケ行くので。
展覧会をしてみると、こんな職業があるんだとか色々な反応がいっぱいありましたよね。実際にゴッホのひまわりを修復している仕事を動画で撮影したりとか、ほとんど見る機会とかないんで全国から学芸員がたくさん来たりして、面白かったです。お金や知識も必要だけど、僕はやっぱりアイデアとかセンスとか情熱とかが、アートを動かすきっかけになるような気がするんですよね。

新型コロナ禍はどの様に過ごされてましたか?

展覧会も中止になって残念としか言えないですけど、しょうがないですよね。会場が使えないだけで何かできる方法があるんじゃないかっていつも考えていましたね。一応、僕は結婚してて子どもが二人居るんで、家族の時間が増えて新鮮でした。驚かれますけど……(笑)。子どもは面白いなって思ったし、教えてもらうことも多くありました。

あるトークショーで写真家は過去、デザイナーは未来、展覧会は今っていう考え方がベースにあるとおしゃっていましたが、それについて詳しく伺いたいです。

僕はいつも今が好きで。今のために生きたいと思ってるんですよ。こうと決めたら関係なく動いちゃうタイプなんですけど、将来が不安な人や過去にすごく嫌なことがあってぬぐい切れない人たちがいますが、それはすべて今思ってることですよ。だから、今を考えるのが一番人間らしい生き方なんじゃないかと思ってて。いろんな表現の中で展覧会が今を表現できるものだと思ってるんですよね。絵画も時間が経つと古くなってくるものもすごくある。森山大道さんの“過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい ”っていう名言がありますけど、それは表現のアウトプットによって違うかもしれませんが、展覧会は流れ星のような存在で、終わりがあるんですよね。それって、その時の記憶で全部続いてくものだし。そういう意味で、僕は展覧会っていう、まさに今を作っているものがすごく好きなんですよね。一方で、デザインってのは未来を作るサインだし、写真は発表する時には常に過去です。写真展は過去を今見れるっていう状況を作ること。そういう意味では、デザインと写真が組むっていうのは、非常に面白い関係が生まれてくるんじゃないかと思っています。とにかく展覧会は面白いです。展覧会をやっているといろんな人に会えるし。

B GALLERYは続けていくんですか?

BEAMSは2020年9月に辞めました。いつかは自分でやりたいと思ってたし、僕の仕事は1年先の仕事を考える仕事なんで、実は去年の8月からBEAMSには辞めるって言ってたんですよね。いろんなことが変わる時期だし、20年働いた会社を辞めて新しく独立するという時期としてはちょうど良かった。今までは結局、会社のお金を使ってやってきたことなので、それを自分の責任で自分のお金で全部やるってことによって、またアーティストとの接し方も変わってくるだろうし、もう少しいい意味でも悪い意味でも自由にできるんだろうなって思ってるんですよね。今やんないと50歳になっちゃうので。明日生きているか分からないし。

後輩には伝えたいことはありますか?

基本的に僕は先輩に教わったことは、ほとんどなくて。企画の組み方、アーティストの探し方だったり自分の考えで模索しながらやってたんで、それこそ中学高校とあんまり学校に行かずに美術の勉強を自分でやってきたから、自分で考えて自分で見つけ出すことが得意なんですよね。その延長線上でずっとやってきたから。この仕事は教えられないんですよ。企画するって、キュレーターのキャラクターもあるし感性も違うし、どうやって組み立てるかは人それぞれ全然違ったりするんで。スケジュール管理は教えますけど、基本的に後輩を育てるのには全然興味がなかった(笑)。むしろライバルだと思ってる。B GALLERYのディレクターは多様性のある人の方が良いと思います。誤解を恐れずにいうと、浅く広くの方が向いていると思います。

今後の活動はどんな動きをしていくつもりですか?

今までみたいなことやると思いますが、もっと広くやると思いますね。例えば、今ならウイルスの研究者の展示とかですかね? ジャンルにはまったくこだわりがなく今の社会に何を見せていくのかってことが基本的な姿勢なので、それにそぐう人で、芯がある人、本質を食ってる人なら僕はその人のやってることを全力で紹介したいと思っています。乱暴にいうと、アーティストじゃなくても良いと思います。アーティストの定義って、なにかわかりますか?

ギャラリーの名前をRollにすると聞きました。Rollの由来を教えてください。

ネーミングってそもそもどうでも良いと思っているんですが、基本的に僕は誰かと組む仕事。Rollは何かに接続できる言葉じゃないですか?ロールケーキだったりロックンロールもそうだし。何かの言葉に付随するイメージがあるのと、自分の頭の中にある考えがいつもグルグルと回っているんですよね。いつもたくさんのプロジェクトを同時進行しているから、常にやらなきゃいけないことがあるんだけど、目の前の面白いことに反応してしまってやらなきゃいけないことそっちのけでそれに夢中になってしまう。そういうイメージも含めて、僕を表している感じがしたのと、ギャラリーのいろんな人が回遊して、いろんな人が関わっていくイメージと合致するかなと思い、Rollにしました。

どんな場所にしたいですか?

Rollは、皆にとって自由な場所になれば良いなと思ってます。いつでも遊びに来てもらえる場所になれば良いんですけどね。ギャラリーって慣れてる人にはいいけど慣れていない人には重く感じることもあると思うんですよね。見られている感じもするし、静かだし、喋っちゃいけない感じがするっていう印象が、きっといまだにあるんですよね。なので、今、庭付きの一軒家を探してるんです。座ったり堂々と喋ったり出来るスペースもあって、一つの公園みたいな場所にしたいんですよね。公園に絵が飾ってあるみたいな。1億くらいは借金だと思っていないんで(笑)。返せそうじゃないですか?めちゃめちゃ頑張ってたら(笑)。アートの値段って、正直よくわかんないですしね。

藤木洋介(ふじき・ようすけ) / キュレーター
1978年生まれ。広島県出身。学校とはほぼ無縁の青年期に独学でアートを学ぶ。キュレーターとして国内外のギャラリーや美術館等、様々なジャンルのアーティストの展覧会企画を15年にわたり精力的に行ってきた。澁谷征司 写真集『A CHILD』(文藝春秋、2017)、浅井健一 詩集『宇宙の匂い』(BEAMS、2018)、野村佐紀子 写真集 『“GO WEST”』(リブロアルテ、2019)、大和田良 写真集『R』(Kesa Publishing、2020)等、書籍の企画や編集、執筆も多数。
現在、“YOSUKE FUJIKI VAN GOGH Co., Ltd.”の旗揚げのため、心臓揺らしながら奮闘中!

Photo:Makoto Nakamori
Video:Ryo Kamijo
Text:Makiko Namie, Makoto Nakamori

社会に接点がない表現って僕はあんまり興味がないし、
それはアートじゃないと思います

藤木洋介 #キュレーター

藤木さんの出身はどちらですか?

広島生まれです。

どんなご家庭で育ちましたか?

普通の家庭ですよ。父親が映画の配給の営業とか現場とかやっていて。明け方に帰ってきて玄関で寝てるような親父でしたけど、酔って(笑)。親父は映画と音楽がすごい好きでウイスキーも好きでした。カッコつけてたんだと思います。母は看護婦なんで、家に人がいなくて、兄も5つ離れてるから、僕は自由に過ごして。ラップに巻かれたご飯と千円が置いてあるような家でした。もちろん両親のことは尊敬しています。

学生時代は何をして過ごされてました?

普通の子だと思うんですけどねー。部活は入らずに帰宅部でした。1個上の悪い先輩たちとスケボーしてましたね。中高はずっとスケボーしてました。旧広島市民球場の裏にスケートパークがあったんで、そことかで。

学生時代のカルチャーのインプットはどうしてましたか?

「411Video」とか「Thrasher Magazine」を見て情報をインプットしたり。ネットとかなかったんでスケボーの技とかはビデオを見てましたね。好きだったのは、マーク・ゴンザレスかな、やっぱり。新しかったんすよね。ライブハウスにもめちゃくちゃ行ってたし。あとクラブとかかな? 広島は音楽文化が根付いてるんですよ。奥田民生、Perfume、矢沢永吉とか、広島出身ですし。

どんな音楽やファッションを好んでましたか?

なんでも聴いてました。元々、レゲエとパンクが好きで。13、4歳でボブ・マーリーが好きな子でしたね。スケーターたちは、ませてて自由だったから。学校も行ってないし。音楽もグラフィティも近くにあるし、ファッションは90年代のファッションでしたね。STUSSYやリーバイスを履いてスケボーしてました。

何で学校行かなかったんですか?

つまんなくて(笑)。自分が好きなことやってる方が楽しくて、答えがあるものを教えてもらうのが面白くなくて、だから今もアートの仕事してるんだと思うんですけど。教えられるのが得意じゃない。今思うとめっちゃ教えて欲しいことはありますけど(笑)。

影響を受けたアートって何ですか?

父の映画、スケート、音楽も好きだったし、いまだにアートって言ってるけど扱ってるものは広義なんすよ。ファションもやるし。アートっていう言葉がふさわしいか分かんないですけど、アートは「自由なもの」って基本的に定義しているんで、そう意味では写真とか絵画に捕らわれずに色んなことをやっていますね。

上京された理由はなんですか?

1999年に上京したんすけど。初動はそれこそボブ・マーリーが好きでジャマイカに行きたくて、ですね。バイトしまくってお金貯めたんすよ。かなり貯めましたね。それでとりあえず東京に行こうと思って。でも東京で遊んでたら、そのお金がなくなって……働こうって思ってBEAMSに入ったんすよ。21歳の頃ですね。BEAMSはアートもやってたし音楽も色々なことやってたし、この会社面白そうだな~って思って入りました。BEAMSの人は個性が強くて面白かった。

B GALLERYにはどの様な経緯で入られたんですか?

BEAMSに最初入った時は、原宿のBEAMS Fってところでスーツの販売してて。その後、社員になってInternational Gallery BEAMSに移動になるんすよ。そこで1年半くらい働いてたら、B GALLERYのアシスタントやってみないかって声かけてもらってですね。それで新宿に行きました。アートが好きだしB GALLERYも見に行ってたりしたんですけど、そういうのもあって。人足りなくて呼ばれたんだと思います。2005、6年の頃から参加しました。

B GALLERYに参加してみてどうでしたか?

面白い人も毎回来るし、アーティストとも仲良くなるし、仕事以外が楽しかったですね。店に来るお客さんとも仲良くなったり。ツテを増やしましたね。今でも付き合いあるアーティトはたくさんいますよ。付き合うと長いんで、僕。
昔、アシスタントだった頃に販売とか現場を見てた時は、作品が売れたら、そのお客さんの家まで行って飾るところまでやってましたよ。人の家に入って壁に穴を開けさせてもらって。お客さんも喜んでくれるし。それでもう一回、藤木から買おうとかなったり。嬉しいですよね。楽しかったな。

B GALLERYのディレクターになる、きっかけは何ですか?

働いていたら自然と、ですかね。向いてると思われたんじゃないかなぁ。それでやらないかって。基本的にファッションの会社なんで、アートがすごく好きな人はそんなにいなくて。それまでのB GALLERYはファッションだったりサブカルチャーを中心に企画しててアートはあまりやってないっていうか、イベント要素が強かったんですよね。トークショーやったりとか、写真とかを始めたのは僕が最初ですね。それまでは、展示してるだけだったんですよね。自分で早く企画したいと思っていましたし、企画はアシスタントの頃から出してたと思います。

色々なアーティストや写真家と知り合う方法は?

情報のインプットは、人づてに聞いたり歩いてて面白そうだなと思ったら入ってみる。頭で考えるよりも先に動くタイプなんで、行動力で見つけてきたんだと思います。
写真家に興味が出たのは同世代として活躍する大和田良さんの影響があるのと、2008年に「StairAUG.photographics 08s」って企画展やったんですよ。「StairAUG.」っていうのは大和田さんが工芸大の人とチーム組んでて、その中に岡田敦さんがいて。
岡田さんが「I am」って写真集を2007年に赤々舎から出してて、その企画展のオープニングの日に木村伊兵衛写真賞を受賞したんですよ。それまで写真とか全然知らなかったんですが、それが縁で授賞式に行ったら写真の人たちと仲良くなって。写真の人は酒飲むしコミュニケーション能力が高いんすよね。例えば、画家って一人で描くから普段喋らない人が多いし、図録もそんなに頻繁には出さない。20年に1冊とかだから。でも写真家は写真集も、どんどん出すし。いろんな人と仲良くなりました。僕は写真家から写真を教えてもらいましたね。

アートはどうやって勉強したんですか?

全然、学校も行ってなかったんで勉強は本と展覧会鑑賞です。独学でしたね~。やっぱネットは事実がどうかわからないんで本を読み漁り、とにかく展覧会に足を運びました。初めて買った写真集はそれこそ「I am」ですかね。元々、ゴッホが好きなので。絵画とか彫刻に興味があって、写真は遅かったですね。

B GALLERYで扱ってきたアーティスト に共通することって何ですか?

その人の表現が芯を食ってる。本質を抜いてるか。自分の表現に対して理由がしっかりある人。うまく言葉に出来ない人もいるので、とりあえず会いますね。

企画のアウトプットはどんな考えを持って取り組んでいますか?

この人のこの部分を出したら面白いかなって考えます。表現が面白いっていうことだけでなく、その人の表現を通して見る人に何か伝えることができるのか? っていうのは考えます。アートは社会貢献だと思ってるんで、社会に接点がない表現って僕はあんまり興味がないし、それはアートじゃないと思います。

会社がやっているギャラリーに対して、どう思っていましたか?

非常に言いにくいんですけど、この人を取り扱ったら人が来てくれるって考え方は二の次ですね。その人が好きだから、作品を展示したくて企画する。人が呼べるからって動機は全くなかったですね。設楽社長が守ってくれました。BEAMS自体がセレクトショップって言っていた時代から、カルチャーショップっていう言葉に変わっていって、商品を売るだけじゃなくて背景にある物事や出来事を紹介したいって方向に変えていった。前社長(設楽悦三)も芸術に興味があって、設楽一族が芸術や文化を守ろうっていう姿勢があるから、僕に好き勝手やらせてくれました。本当に感謝しています。

アートは買いますか?

若い頃に空山基さんの絵とか頑張って買いました。よく勘違いされるんですけど、所有力はないんです。アートをいっぱい買ってコレクションするっていう気は一切ないんですよね。洋服もそうで、いつも同じものをずっと着てる。むしろ、あげちゃう方です。執着がない。作品に執着しすぎるというのは、この仕事は向いていな気がします。それじゃないと年間15本とかできないんですよね。ある程度、あっさりというか、離れていないと。

展覧会のときはどんな心境ですか?

作品が売れないとアーティストは収入がゼロなんで、いつもプレッシャーがあります。僕はアーティストの絶対的な味方だけど、売れなければ続けられない。洋服は基本的に買い取りなんでセールとかにできますけど、アートは違う。

アートを買う人は増えていると思いますか?

増えていると思います。今は若い人もアートを買ってる気がします。金額は安いですけど。むしろ服を買わなくなってるんじゃないかな。人気があるのはイラストなどの安価で小さいもので、今は自宅のZoomの背景に、ちょっと飾ったりするんだと思います。コロナの最中も売れないと思ってたんですけど、想像以上に売れていました。

作品の売れる売れないの判断はわかりますか?

これは売れそうだなって思って、いざ始まると売れなかったり。逆に売れないと思ったたら売れるなんてことは、めちゃくちゃありましたよ。いまだに全然わかんない。わかっている人はいないと思います。わかんないのが楽しいし。まぁ、日本は有名じゃないと売れないってことは、いまだにありますけどね。

年間に12〜16本やる熱量はどこからくるのでしょうか?

前担当者は年間12本やっていて。1ヶ月に1本だと間延びするんですよね。それで3週間くらいに1本ペースに変えてたらちょうどいいと思って、単純な考えです。準備はめちゃくちゃ大変で本当に休みなく働いてました。本数を増やすというのは誰にも頼まれていないし、好きだからできてました。楽しかったんです。休むって必要ない人間なんで(笑)、それもあるかも。

B GALLERYでやった展覧会の中で印象深い展示はありますか?

たくさんありますが強いて言えば、ゴッホやピカソの絵画作品を修復してきた岩井希久子さんの展覧会はすべてが挑戦でした。もともと絵画が好きだということもありますが。何百年前の絵画を今、僕等が見れるのは、修復家が保存修復とかメンテナンスをしてくれてるからで、それに気づいてて。でもそれは黒子の仕事なんですよね。黒子の人たちの中で一流の人はたくさんいるんですよね。影の人を表に紹介することで、自分たちが見ることができる絵画の恩恵とか、残していく意味とか、なくなることが自然だとする考えもあると思うので、それについて考えを巡らすって面白そうだなって思って。最初は断られたんですけど、何度も交渉しました。僕はズケズケ行くので。
展覧会をしてみると、こんな職業があるんだとか色々な反応がいっぱいありましたよね。実際にゴッホのひまわりを修復している仕事を動画で撮影したりとか、ほとんど見る機会とかないんで全国から学芸員がたくさん来たりして、面白かったです。お金や知識も必要だけど、僕はやっぱりアイデアとかセンスとか情熱とかが、アートを動かすきっかけになるような気がするんですよね。

新型コロナ禍はどの様に過ごされてましたか?

展覧会も中止になって残念としか言えないですけど、しょうがないですよね。会場が使えないだけで何かできる方法があるんじゃないかっていつも考えていましたね。一応、僕は結婚してて子どもが二人居るんで、家族の時間が増えて新鮮でした。驚かれますけど……(笑)。子どもは面白いなって思ったし、教えてもらうことも多くありました。

あるトークショーで写真家は過去、デザイナーは未来、展覧会は今っていう考え方がベースにあるとおしゃっていましたが、それについて詳しく伺いたいです。

僕はいつも今が好きで。今のために生きたいと思ってるんですよ。こうと決めたら関係なく動いちゃうタイプなんですけど、将来が不安な人や過去にすごく嫌なことがあってぬぐい切れない人たちがいますが、それはすべて今思ってることですよ。だから、今を考えるのが一番人間らしい生き方なんじゃないかと思ってて。いろんな表現の中で展覧会が今を表現できるものだと思ってるんですよね。絵画も時間が経つと古くなってくるものもすごくある。森山大道さんの“過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい ”っていう名言がありますけど、それは表現のアウトプットによって違うかもしれませんが、展覧会は流れ星のような存在で、終わりがあるんですよね。それって、その時の記憶で全部続いてくものだし。そういう意味で、僕は展覧会っていう、まさに今を作っているものがすごく好きなんですよね。一方で、デザインってのは未来を作るサインだし、写真は発表する時には常に過去です。写真展は過去を今見れるっていう状況を作ること。そういう意味では、デザインと写真が組むっていうのは、非常に面白い関係が生まれてくるんじゃないかと思っています。とにかく展覧会は面白いです。展覧会をやっているといろんな人に会えるし。

B GALLERYは続けていくんですか?

BEAMSは2020年9月に辞めました。いつかは自分でやりたいと思ってたし、僕の仕事は1年先の仕事を考える仕事なんで、実は去年の8月からBEAMSには辞めるって言ってたんですよね。いろんなことが変わる時期だし、20年働いた会社を辞めて新しく独立するという時期としてはちょうど良かった。今までは結局、会社のお金を使ってやってきたことなので、それを自分の責任で自分のお金で全部やるってことによって、またアーティストとの接し方も変わってくるだろうし、もう少しいい意味でも悪い意味でも自由にできるんだろうなって思ってるんですよね。今やんないと50歳になっちゃうので。明日生きているか分からないし。

後輩には伝えたいことはありますか?

基本的に僕は先輩に教わったことは、ほとんどなくて。企画の組み方、アーティストの探し方だったり自分の考えで模索しながらやってたんで、それこそ中学高校とあんまり学校に行かずに美術の勉強を自分でやってきたから、自分で考えて自分で見つけ出すことが得意なんですよね。その延長線上でずっとやってきたから。この仕事は教えられないんですよ。企画するって、キュレーターのキャラクターもあるし感性も違うし、どうやって組み立てるかは人それぞれ全然違ったりするんで。スケジュール管理は教えますけど、基本的に後輩を育てるのには全然興味がなかった(笑)。むしろライバルだと思ってる。B GALLERYのディレクターは多様性のある人の方が良いと思います。誤解を恐れずにいうと、浅く広くの方が向いていると思います。

今後の活動はどんな動きをしていくつもりですか?

今までみたいなことやると思いますが、もっと広くやると思いますね。例えば、今ならウイルスの研究者の展示とかですかね? ジャンルにはまったくこだわりがなく今の社会に何を見せていくのかってことが基本的な姿勢なので、それにそぐう人で、芯がある人、本質を食ってる人なら僕はその人のやってることを全力で紹介したいと思っています。乱暴にいうと、アーティストじゃなくても良いと思います。アーティストの定義って、なにかわかりますか?

ギャラリーの名前をRollにすると聞きました。Rollの由来を教えてください。

ネーミングってそもそもどうでも良いと思っているんですが、基本的に僕は誰かと組む仕事。Rollは何かに接続できる言葉じゃないですか?ロールケーキだったりロックンロールもそうだし。何かの言葉に付随するイメージがあるのと、自分の頭の中にある考えがいつもグルグルと回っているんですよね。いつもたくさんのプロジェクトを同時進行しているから、常にやらなきゃいけないことがあるんだけど、目の前の面白いことに反応してしまってやらなきゃいけないことそっちのけでそれに夢中になってしまう。そういうイメージも含めて、僕を表している感じがしたのと、ギャラリーのいろんな人が回遊して、いろんな人が関わっていくイメージと合致するかなと思い、Rollにしました。

どんな場所にしたいですか?

Rollは、皆にとって自由な場所になれば良いなと思ってます。いつでも遊びに来てもらえる場所になれば良いんですけどね。ギャラリーって慣れてる人にはいいけど慣れていない人には重く感じることもあると思うんですよね。見られている感じもするし、静かだし、喋っちゃいけない感じがするっていう印象が、きっといまだにあるんですよね。なので、今、庭付きの一軒家を探してるんです。座ったり堂々と喋ったり出来るスペースもあって、一つの公園みたいな場所にしたいんですよね。公園に絵が飾ってあるみたいな。1億くらいは借金だと思っていないんで(笑)。返せそうじゃないですか?めちゃめちゃ頑張ってたら(笑)。アートの値段って、正直よくわかんないですしね。

藤木洋介(ふじき・ようすけ) / キュレーター
1978年生まれ。広島県出身。学校とはほぼ無縁の青年期に独学でアートを学ぶ。キュレーターとして国内外のギャラリーや美術館等、様々なジャンルのアーティストの展覧会企画を15年にわたり精力的に行ってきた。澁谷征司 写真集『A CHILD』(文藝春秋、2017)、浅井健一 詩集『宇宙の匂い』(BEAMS、2018)、野村佐紀子 写真集 『“GO WEST”』(リブロアルテ、2019)、大和田良 写真集『R』(Kesa Publishing、2020)等、書籍の企画や編集、執筆も多数。
現在、“YOSUKE FUJIKI VAN GOGH Co., Ltd.”の旗揚げのため、心臓揺らしながら奮闘中!

Photo:Makoto Nakamori
Video:Ryo Kamijo
Text:Makiko Namie, Makoto Nakamori