「ホンモノ」の魚

大橋磨州 #魚屋

「美味しい」
その言葉の裏にいる人たちを磨州さんは尊敬している。
未来を見つめて抗いながらアメ横にいる。
魚を食べる。
そのことの重みについて、今も考え続けている。

ー大橋さんはどこ出身ですか?

横浜の港南区です。ニュータウンで育ちました。

ーどんなご家庭でしたか?

父親が大学教員、母親は有名大学出身で、それなりに教育熱心な家庭で育ちました。その影響で中学受験をして、慶應義塾普通部に入学しました。

ー学生のとき、夢中になったことは何ですか?

高校生のときに出会った演劇です。たまたま演劇部に見学に行ったら、なぜか興味が湧いたんです。一つ上の先輩方は熱量のある人が多く、その先輩方がいなければ自分も演劇にハマってくことはなかったと思います。魚草を使ってアート作品を発表してもらった中澤大輔さんは当時の演劇部の先輩で、今でも関係が続いています。

ーその頃の進路はどのように考えていましたか?

高校生の夢としては、好きな演劇で食べていくことでした。あと何より父親が大学教員だったので、一般的なサラリーマンになることは想像していなかったです。
高校卒業後は大学、大学院にも進みました。そのときは自分も研究職につけたらいいな〜と、漠然と考えていましたね。

ー大学では何を研究されていたのでしょうか?

エスカレーター式の進学ルートなので、大学でこれがしたい! というのはなかったのですが、演劇や身体表現にはすごく興味を持っていました。大学にはそういう方面の講義が充実していたんです。中でも石井達朗さんの講義で、「日本には暗黒舞踏という西洋にはない身体表現がある、実はこれは、地方の農村にある民俗芸能がルーツになっているんだ」というような話を聞いたとき、これは面白そうだなと思いました。
それを自分の卒論にしようと、秋田県の西馬音内に行きました。西馬音内盆踊りが、どのように土方巽の踊りと関係があるのかを調べようと思ったんです。大学3、4年の休みを使って、農家に住み込みで働かせてもらって研究しました。昼は農作業、夜は町でインタビューという生活をしていました。

ー慶應大学から東大大学院に進学されたそうですが、それは何故だったんですか?

東大を選んだのは、自分が勉強したかった文化人類学で、素晴らしい先生がたくさんいらっしゃったからです。でも半年ほど学校に行って挫折しました。同期の本当に頭いい人たちには全然太刀打ちできない。フィールドワークは大好きなんですが、本や英語の文献を読むのが苦痛でした。これは駄目だって思って休学しました。環境を変えようと家を出て上野近くにアパートを借りました。引っ越し費用も兄貴に借りるくらい、お金も全然なくて……年末、アルバイト探しにアメ横に行ってみたんです。そこで何となく魚屋さんに行って、働けますか? って聞いてみたら、明日から来いって言ってもらえて。

ー魚屋を選んだ理由は?

特にないです。アメ横といえば年末の魚屋の喧騒、という漠然としたイメージがあったんです。

ー突然、魚屋になる。その際の印象はどうでしたか?

年末の2週間や最後の3日間の盛り上がりは本当に劇場空間なんです。すし詰めですよね、通りが全部人で埋まる。押し合いへし合いの中、魚屋は声を枯らして売り続ける。いらっしゃいませ! みたいなのがないんです。ただ叫んでいるだけ。それでお客様に買ってもらう。
これはやばい。これはとんでもないことがここで起きているぞっていう感じでした。その状況にハマってしまった。感染してしまった。そういう感じです。
その年末は自分も一生懸命、魚屋になりきって2週間を過ごしました。そのまま働いてくれないかと言われて、お店に残りました。あの劇場空間の面白さが忘れられなかったんです。そして大学も中退しました。

ーその魚屋さんで学んだことは何でしたか?

6年ぐらいいましたが何にもないですよ(笑)。
もちろんお客様との距離感や目線、短い会話の中で相手の気持ちを読み取るっていうのは6年も店頭に立っていれば身に付きます。この街ではこういうものが売れるというような感覚は勉強しました。
でもそういったことが中心で魚屋にいても魚は捌けないですし、魚のことも知らない。全てデタラメだったんです。お客様に説明することもデタラメだし、最終的にはうまいよって一言。

ーそのデタラメの中、ご自身でお店を持とうと思ったのはなぜだったのでしょうか?

アメ横みたいな場所は必要悪、みたいなところがあるんです。要するに市場でさばききれない魚とかっていうのは絶対にあって、そういう魚の最終的な受け皿になっていたりはするんですよね。
アメ横なんて市場の売れ残りを安く売っているって言われ方をするんですけど、魚は余るんですよ。昨日なかった魚が、今日はいきなり何百トンも獲れたっていうのは、海の世界では当たり前にあるんです。
頼んでもいないものがたくさん来るわけだから、市場の人は必死になって一生懸命、全国に飛ばしてなんとかしようとするんですが、どうしたって余る魚は出てくる。市場で100ケース積み上がっているようなとき、アメ横の魚屋が何でもいいから全部引き受けてやるよ、その代わり箱500円ね。キロ3,000円する魚かもしれないけど、それを箱で500円でしか買わないよと……それを買い叩いていると言えばそうなんですけど、アメ横の魚屋が買わなかったらどうするの? という話なんです。その魚はどこにいくのか。本当にゴミになっちゃうんです。単純に良い悪い、の話じゃないんです。

ー魚草のポリシーに、「ホンモノ」の魚を提供する、とあります。

アメ横の魚屋で働いているとき、二束三文で買い叩いているうちにどんどん仕入れ先が潰れていくのを見て、これは未来がないと感じていました。うちが買って売ることで誰も喜んでいない。買っても買っても取引先から感謝もされないような関係に疑問を感じていました。嫌な部分をいっぱい見てきて、自分はもっとまっとうな商売をしたいと思ったんです。
でも何の技術も持たず、店頭に立っているだけの6年間を過ごしてきたので、魚屋を辞めたあと飲食業に勤めて一から勉強し直しました。
独立を考えていた時点で、時代の流れ的に魚屋だけでは商売できないと思っていました。アメ横はどんどん観光地化している。その場でちょっと食べてもらって、500円でも1,000円でも稼いでいくような形だろうなと思っていました。他の魚屋だとカツオが一匹500円! それが安いのはわかるけど、多すぎて要らないじゃないですか。一人暮らしや単身世帯が5割超えているのに。1匹500円より4切れ500円の方が、お客様に選ばれるんですよね。

ー独立にあたってアメヤ横丁にこだわったのはなぜですか?

自分はあまり場所を選ばずに器用にやっていけるタイプじゃないです。ひとつの街にとことん……そういうタイプでしたので。

ー働き始めてから今までのアメヤ横丁の移り変わりはどのように感じていますか?

この10〜20年は多分、日本全体がそうであるように、アメ横もだんだん変わっていく時期でした。自分がアメ横に入った頃が、いろんなデタラメが許されていた最後の時代。デタラメを許容できるパワーがあった。買い出しに人が集まる街。アメ横に行けば何かあるんじゃないか。騙されるかもしれないけど掘り出し物もある。そういう幻想みたいなものも残っていましたね。
その後はネットで探せば、ある。わざわざアメ横に魚を買いに来なくてもいい世の中になってきていることをひしひしと感じています。家族も小さくなっていく。

ー物件選びはどうでしたか?

アメ横の物件はなかなか空かないんですよね。2年くらい探しました。アメ横は元々JRの持ち物ですけど、大昔にJRから営業権を借りている人がいます。もっと遡れば、バラックで闇市で商売してる人たちが営業する権利を持っていて、その人たちは、JRから格安の家賃で借りて又貸しています。それは多分どこでも起きていることだと思いますけど。

ー2013年9月に魚草をオープンされます。

アメ横の、人が多く集まる通り。昔から様々なやり方で商売をしている魚屋さんがいっぱいあります。それでもみんな駄目になっているのに、自分がいくら食べられる魚屋ですよって言ったところで太刀打ちできないだろうと思っていました。そこで気仙沼の魚を推した魚屋にしました。物語が必要だと思ったからです。最初は本当に不安でした。

ー魚の知識は常にアップデートされているそうですね。

自分は魚屋としてキャリアがあるという意識は全くないんです。お店を始めてから仕入れ先とのコミュニケーションでだんだん勉強させてもらって、7、8年経った今なんとなくわかることがあります。
日本人の持っている魚に関しての知識は、体系化されていなかったり、歪んでいたりすることがあるって思っています。一般人でも、プロの料理人でも、キャリアのある魚屋であったとしても。自分の場合は料理人としても半端だし、魚屋としても半端だし、ちょっと東大行ってましたみたいな感じだから、商売人としても半端になる(笑)。全てにおいて中途半端な立場だからこそ、逆に何か変じゃない? と気づけることは結構いっぱいあります。和食の料理人さんが持っている知識、例えば真鯛に関しての技法が、今の時代に適しているのか自分から見ても疑問に思うことがあるんです。時代と共に漁法も旬の魚もどんどん変わっています。地球の温暖化で獲れるはずのものが獲れない、鰆は魚に春って書くのにおいしい季節が全然違う。そういうことはいっぱいあるんですよ。なおかつ冷凍の技術がすごく発達していて、常に知識のアップデートが必要です。
昔から人の手に触れているからこそ知識に厚みがある魚と、技術の進展で流通の網に乗ったばかりの魚とでは差が出てくるんです。魚種で良し悪しを判断するのは何の意味もない。漁師さんと直接喋っていると、この時期はこれ! とか現在進行形の知識がどんどん入ってくるので、そういうのは伝えたいです。日本人は魚について世界一詳しいみたいな雰囲気がある。でも実際には全然知らないし、アップデートもされてないと思います。

ー知識のアップデートを間近で感じているんですね。

最新の冷凍技術を使って、魚の肝部分だけを商品化する新しい試みをされている「三陸とれたて市場」というところがあって、自分は4、5年前から意見交換しあっています。生の鮟肝を刺身で食べられるようにしてもらって、魚草でも提供しています。

ー魚草は美味しい肝を提供していますね。

有名な話ですが、ライオンは獲物を仕留めると、まず一番おいしい内臓から食べる。魚の持っているポテンシャルや海の恵みをいただくってなったら、それは内臓をうまく処理して、生で食うのが一番いいんじゃないかと思っています。だから魚草は肝ばっかり提供しているんです。

ーそこに行きつく、お店の転機はあったのでしょうか?

生牡蠣です。開店して最初の頃は何も売れませんでした。ですが生牡蠣をその場で食べてもらったら、特に外国人に大ウケしました。今でこそありますけど、当時のアメ横にはその場で食べさせる場所はなかった。店頭で牡蠣をむいているともう黒山の人だかりができて、11時にオープンして夜7時まで、ひたすら牡蠣を剥いていました。多いときには1日1000個以上です。人間の牡蠣に対しての執着がすごいと思いました。性別も国も選ばない。なぜかと考えると、牡蠣は究極の肝の生食だということに気が付きました。牡蠣は動かず岩に張り付いている。筋肉が必要ないので、貝柱が小さくてほとんど内臓です。その内臓に栄養分を溜め込む。「牡蠣はクリーミー」の「クリーミー」は、ほとんど内臓のところを言っているんです。海中で、海水を取り込んで吐き出している生き物だから、牡蠣=海の恵みそのもの。だから海が豊かだったら牡蠣も美味しい。魚草は肝を食べてもらう店だと気が付きました。

ー産地直送以外にも仕入れているんですか?

地方市場、漁師さん、豊洲からも仕入れます。中央市場には中央市場のいいところがある。圧倒的な物量を然るべきところに回していく。その姿はすごく尊敬しているので中央市場からも常に買いたいなっていうのはあります。一概に産地直送がベストではないんです。

ー「産地直送は高い。そうあるべきだ。」とのインタビューをよみました。

そうです。それを教えてくれる人がいないんです。自分以外にも言っている人はいますが少ないですよね。漁師さんが儲からないとこの国の水産業がおかしくなるっていうのは、みんなわかっているはずなんです。「産地直送=安い」。この言葉が当たり前になっていることがおかしいです。浮いた中間業者へのマージンを加えて漁師さんから「高く」買うべきだと思っています。これはアメ横で働いていいた罪滅ぼしじゃないですけど、うちは安売りはするけど安く仕入れはしない。それは意識しています。

ーお店では多くの日本酒を取り扱っていますね。

日本酒はほとんどわからない状況から始めました。お客様を通じて東上野の酒屋さんを紹介してもらって、ご主人といろいろ話しながら仕入れていきました。魚も日本酒もみんなそうですけど、自分で選ぶより信頼関係で任せる。まず人間関係を作ってお任せしていくスタイルです。もちろんこっちからもキャッチボールでどんどんやりますけど、仕入れのスタイルは魚も日本酒一緒です。
日本酒を扱うほど、ワインとか、そういうものとは違うんだなと思います。日本酒は、ワインみたいな値段は絶対つかない。だいたい3,000円も出せば、一升瓶で美味しいものが飲めます。でも美味しさで比べた時に日本酒に3,000円の価値しかなくて、ワインにはそれ以上の価値があるっていうことではないはずです。
ワインついてあまり詳しくないですが、おそらく歴史や時間を楽しむというようなものだと思うんです。時間軸なんかが重要になってくる。日本酒は同じ銘柄でも作る年によって味は全く変わってしまうし、とにかく鮮度が命。開けた瞬間、それから何日経っているか、飲む温度帯、そういうもので全部変わってしまうわけですよね。逆に言えばそれだけ鮮度があって、その鮮度に対しての価値がある。同じ味を味わえるのは、その瞬間に食卓を囲んでいる人たちぐらいなんです。今を楽しむものだなって感じています。ワインはどちらかというとカップルや同じテーブルの少人数でシェアするものですが、日本酒はより多くのお客様とシェアして、その空間にいるお客さんみんなで語り合える。コミュニケーションのツールとしてはすごくいいですよね。

ー日本酒の鮮度が魚との相性の良さと通じているんですね。

魚草がやっているような業態に対して、あれだけ日本酒がハマったのはそういう要因はあると思います。魚草はライブを楽しむお店なので。

ー「魚草は表現の場」と常々言われていますね。

そうです。人がめちゃくちゃ来る通りで、ある一定のスペースを借りて場所を持っているっていう以上、何かしらやる責任を感じていて、誰かにこの場所をもっと使ってほしいという考えは常にあります。上野と言えば美術館も多く「芸術の杜」とよばれることもありますが、アートというものは、お客様があまり来ないギャラリーに飾るより、めちゃくちゃ商売していて人の流れがあるところでこそ飾るべきなのではと思っています。アメ横のような商店街が商いの論理で支配されて、アートの空間としては機能しないと思われているのは勿体ないです。人が来て賑わっているからこそ、魚草でやってほしい。

ーお店に立っているときの幸せは何ですか?

自分はお客様と深く付き合うのは、苦手というかあまり好きな方じゃない(笑)。割と深い付き合いが好きなお客様やスタッフも多いですけど、僕はその場限りで楽しくやる方が好きなんです。アメ横は常に一見さんが多く来る可能性がある場所。それがここでお店を構えている理由の一つでもあるんです。スタッフにも、基本的に深い付き合いになるのはやめてほしいな〜と伝えています(笑)。魚草は狭いです。10人常連で固まるなんてすぐにできてしまう。せっかく人の流れがある場所で、内輪内輪の雰囲気にしてしまうのは非常に勿体ない。新しいお客様が多く来る店であるべきだと思っています。もちろん常連のお客様も本当に大切で、バランスがすごく難しいですが(笑)。

ー魚への探究心はどこから生まれていると思いますか?

自分はまだまだ魚の知識は足りてないです(笑)。自分は全てにおいて素人。素人性みたいなものにはすごく関心があります。プロじゃないものをみんなが見に来るようなことの面白さみたいなのは常に気になっていて。物事はマニアによって消費されていくと駄目になると思っています。食べ物もアートもそうですけど、どんどん洗練されていって、観客も洗練される。そういう世界にあんまり興味がないのかもしれないですね。

ーアメヤ横丁の灯を消さないためにやっていることは何ですか?

お馴染みの歳末販売の風景に関して言えば、手前味噌ですけど、魚草は蟹をめちゃめちゃ売るんですよ。蟹の卸業者の方にもすごく協力していただいて。蟹を売る期間は信じられないくらい人が来ます。蟹を売って、アメ横の風物詩を何とか守ってきたみたいなところがあるんです。もしこれをうちがやらないってなったら、魚屋がどんどん減っていっている現状、年末は本当に寂しいアメ横になると思っています。商売度外視で、年に一度のお祭りをみんなで楽しむ。うちの場合は儲けるというより散財するみたいな感じが近いです。実際儲けは全く出ない。でも、ただ何か楽しいですよね。みんな楽しむためだけにやって、お客さんもそれをわかって来てくれる。昨年は最終的に3,000円で仕入れたものを1,000円で売って、最後の2時間は1時間当たり100万円ずつぐらい赤字を出しながら過ごしました(笑)。
本当に何て言うんすかね。仕入れすぎちゃって……(笑)。

ー魚だけではなく様々なことへの探究心が感じます。

魚に対しての知らないことを探求したり、こうやって何かをお話させていただいたりするのも楽しい。この記事を読んで、普段魚草に来るお客様とは全然違う方の目に触れる。それで少しでも普段とは違う毛色の人がうちの店に来てくれれば嬉しいです。

アメ横 魚草
住所:
〒110-0005
東京都台東区上野6―10―7 29号

営業時間:
平日12時~19時半
休日12時~19時半

WEBSITE : https://www.uokusa.jp
Twitter : @UOKUSAsakenome

「ホンモノ」の魚

大橋磨州 #魚屋

「美味しい」
その言葉の裏にいる人たちを磨州さんは尊敬している。
未来を見つめて抗いながらアメ横にいる。
魚を食べる。
そのことの重みについて、今も考え続けている。

ー大橋さんはどこ出身ですか?

横浜の港南区です。ニュータウンで育ちました。

ーどんなご家庭でしたか?

父親が大学教員、母親は有名大学出身で、それなりに教育熱心な家庭で育ちました。その影響で中学受験をして、慶應義塾普通部に入学しました。

ー学生のとき、夢中になったことは何ですか?

高校生のときに出会った演劇です。たまたま演劇部に見学に行ったら、なぜか興味が湧いたんです。一つ上の先輩方は熱量のある人が多く、その先輩方がいなければ自分も演劇にハマってくことはなかったと思います。魚草を使ってアート作品を発表してもらった中澤大輔さんは当時の演劇部の先輩で、今でも関係が続いています。

ーその頃の進路はどのように考えていましたか?

高校生の夢としては、好きな演劇で食べていくことでした。あと何より父親が大学教員だったので、一般的なサラリーマンになることは想像していなかったです。
高校卒業後は大学、大学院にも進みました。そのときは自分も研究職につけたらいいな〜と、漠然と考えていましたね。

ー大学では何を研究されていたのでしょうか?

エスカレーター式の進学ルートなので、大学でこれがしたい! というのはなかったのですが、演劇や身体表現にはすごく興味を持っていました。大学にはそういう方面の講義が充実していたんです。中でも石井達朗さんの講義で、「日本には暗黒舞踏という西洋にはない身体表現がある、実はこれは、地方の農村にある民俗芸能がルーツになっているんだ」というような話を聞いたとき、これは面白そうだなと思いました。
それを自分の卒論にしようと、秋田県の西馬音内に行きました。西馬音内盆踊りが、どのように土方巽の踊りと関係があるのかを調べようと思ったんです。大学3、4年の休みを使って、農家に住み込みで働かせてもらって研究しました。昼は農作業、夜は町でインタビューという生活をしていました。

ー慶應大学から東大大学院に進学されたそうですが、それは何故だったんですか?

東大を選んだのは、自分が勉強したかった文化人類学で、素晴らしい先生がたくさんいらっしゃったからです。でも半年ほど学校に行って挫折しました。同期の本当に頭いい人たちには全然太刀打ちできない。フィールドワークは大好きなんですが、本や英語の文献を読むのが苦痛でした。これは駄目だって思って休学しました。環境を変えようと家を出て上野近くにアパートを借りました。引っ越し費用も兄貴に借りるくらい、お金も全然なくて……年末、アルバイト探しにアメ横に行ってみたんです。そこで何となく魚屋さんに行って、働けますか? って聞いてみたら、明日から来いって言ってもらえて。

ー魚屋を選んだ理由は?

特にないです。アメ横といえば年末の魚屋の喧騒、という漠然としたイメージがあったんです。

ー突然、魚屋になる。その際の印象はどうでしたか?

年末の2週間や最後の3日間の盛り上がりは本当に劇場空間なんです。すし詰めですよね、通りが全部人で埋まる。押し合いへし合いの中、魚屋は声を枯らして売り続ける。いらっしゃいませ! みたいなのがないんです。ただ叫んでいるだけ。それでお客様に買ってもらう。
これはやばい。これはとんでもないことがここで起きているぞっていう感じでした。その状況にハマってしまった。感染してしまった。そういう感じです。
その年末は自分も一生懸命、魚屋になりきって2週間を過ごしました。そのまま働いてくれないかと言われて、お店に残りました。あの劇場空間の面白さが忘れられなかったんです。そして大学も中退しました。

ーその魚屋さんで学んだことは何でしたか?

6年ぐらいいましたが何にもないですよ(笑)。
もちろんお客様との距離感や目線、短い会話の中で相手の気持ちを読み取るっていうのは6年も店頭に立っていれば身に付きます。この街ではこういうものが売れるというような感覚は勉強しました。
でもそういったことが中心で魚屋にいても魚は捌けないですし、魚のことも知らない。全てデタラメだったんです。お客様に説明することもデタラメだし、最終的にはうまいよって一言。

ーそのデタラメの中、ご自身でお店を持とうと思ったのはなぜだったのでしょうか?

アメ横みたいな場所は必要悪、みたいなところがあるんです。要するに市場でさばききれない魚とかっていうのは絶対にあって、そういう魚の最終的な受け皿になっていたりはするんですよね。
アメ横なんて市場の売れ残りを安く売っているって言われ方をするんですけど、魚は余るんですよ。昨日なかった魚が、今日はいきなり何百トンも獲れたっていうのは、海の世界では当たり前にあるんです。
頼んでもいないものがたくさん来るわけだから、市場の人は必死になって一生懸命、全国に飛ばしてなんとかしようとするんですが、どうしたって余る魚は出てくる。市場で100ケース積み上がっているようなとき、アメ横の魚屋が何でもいいから全部引き受けてやるよ、その代わり箱500円ね。キロ3,000円する魚かもしれないけど、それを箱で500円でしか買わないよと……それを買い叩いていると言えばそうなんですけど、アメ横の魚屋が買わなかったらどうするの? という話なんです。その魚はどこにいくのか。本当にゴミになっちゃうんです。単純に良い悪い、の話じゃないんです。

ー魚草のポリシーに、「ホンモノ」の魚を提供する、とあります。

アメ横の魚屋で働いているとき、二束三文で買い叩いているうちにどんどん仕入れ先が潰れていくのを見て、これは未来がないと感じていました。うちが買って売ることで誰も喜んでいない。買っても買っても取引先から感謝もされないような関係に疑問を感じていました。嫌な部分をいっぱい見てきて、自分はもっとまっとうな商売をしたいと思ったんです。
でも何の技術も持たず、店頭に立っているだけの6年間を過ごしてきたので、魚屋を辞めたあと飲食業に勤めて一から勉強し直しました。
独立を考えていた時点で、時代の流れ的に魚屋だけでは商売できないと思っていました。アメ横はどんどん観光地化している。その場でちょっと食べてもらって、500円でも1,000円でも稼いでいくような形だろうなと思っていました。他の魚屋だとカツオが一匹500円! それが安いのはわかるけど、多すぎて要らないじゃないですか。一人暮らしや単身世帯が5割超えているのに。1匹500円より4切れ500円の方が、お客様に選ばれるんですよね。

ー独立にあたってアメヤ横丁にこだわったのはなぜですか?

自分はあまり場所を選ばずに器用にやっていけるタイプじゃないです。ひとつの街にとことん……そういうタイプでしたので。

ー働き始めてから今までのアメヤ横丁の移り変わりはどのように感じていますか?

この10〜20年は多分、日本全体がそうであるように、アメ横もだんだん変わっていく時期でした。自分がアメ横に入った頃が、いろんなデタラメが許されていた最後の時代。デタラメを許容できるパワーがあった。買い出しに人が集まる街。アメ横に行けば何かあるんじゃないか。騙されるかもしれないけど掘り出し物もある。そういう幻想みたいなものも残っていましたね。
その後はネットで探せば、ある。わざわざアメ横に魚を買いに来なくてもいい世の中になってきていることをひしひしと感じています。家族も小さくなっていく。

ー物件選びはどうでしたか?

アメ横の物件はなかなか空かないんですよね。2年くらい探しました。アメ横は元々JRの持ち物ですけど、大昔にJRから営業権を借りている人がいます。もっと遡れば、バラックで闇市で商売してる人たちが営業する権利を持っていて、その人たちは、JRから格安の家賃で借りて又貸しています。それは多分どこでも起きていることだと思いますけど。

ー2013年9月に魚草をオープンされます。

アメ横の、人が多く集まる通り。昔から様々なやり方で商売をしている魚屋さんがいっぱいあります。それでもみんな駄目になっているのに、自分がいくら食べられる魚屋ですよって言ったところで太刀打ちできないだろうと思っていました。そこで気仙沼の魚を推した魚屋にしました。物語が必要だと思ったからです。最初は本当に不安でした。

ー魚の知識は常にアップデートされているそうですね。

自分は魚屋としてキャリアがあるという意識は全くないんです。お店を始めてから仕入れ先とのコミュニケーションでだんだん勉強させてもらって、7、8年経った今なんとなくわかることがあります。
日本人の持っている魚に関しての知識は、体系化されていなかったり、歪んでいたりすることがあるって思っています。一般人でも、プロの料理人でも、キャリアのある魚屋であったとしても。自分の場合は料理人としても半端だし、魚屋としても半端だし、ちょっと東大行ってましたみたいな感じだから、商売人としても半端になる(笑)。全てにおいて中途半端な立場だからこそ、逆に何か変じゃない? と気づけることは結構いっぱいあります。和食の料理人さんが持っている知識、例えば真鯛に関しての技法が、今の時代に適しているのか自分から見ても疑問に思うことがあるんです。時代と共に漁法も旬の魚もどんどん変わっています。地球の温暖化で獲れるはずのものが獲れない、鰆は魚に春って書くのにおいしい季節が全然違う。そういうことはいっぱいあるんですよ。なおかつ冷凍の技術がすごく発達していて、常に知識のアップデートが必要です。
昔から人の手に触れているからこそ知識に厚みがある魚と、技術の進展で流通の網に乗ったばかりの魚とでは差が出てくるんです。魚種で良し悪しを判断するのは何の意味もない。漁師さんと直接喋っていると、この時期はこれ! とか現在進行形の知識がどんどん入ってくるので、そういうのは伝えたいです。日本人は魚について世界一詳しいみたいな雰囲気がある。でも実際には全然知らないし、アップデートもされてないと思います。

ー知識のアップデートを間近で感じているんですね。

最新の冷凍技術を使って、魚の肝部分だけを商品化する新しい試みをされている「三陸とれたて市場」というところがあって、自分は4、5年前から意見交換しあっています。生の鮟肝を刺身で食べられるようにしてもらって、魚草でも提供しています。

ー魚草は美味しい肝を提供していますね。

有名な話ですが、ライオンは獲物を仕留めると、まず一番おいしい内臓から食べる。魚の持っているポテンシャルや海の恵みをいただくってなったら、それは内臓をうまく処理して、生で食うのが一番いいんじゃないかと思っています。だから魚草は肝ばっかり提供しているんです。

ーそこに行きつく、お店の転機はあったのでしょうか?

生牡蠣です。開店して最初の頃は何も売れませんでした。ですが生牡蠣をその場で食べてもらったら、特に外国人に大ウケしました。今でこそありますけど、当時のアメ横にはその場で食べさせる場所はなかった。店頭で牡蠣をむいているともう黒山の人だかりができて、11時にオープンして夜7時まで、ひたすら牡蠣を剥いていました。多いときには1日1000個以上です。人間の牡蠣に対しての執着がすごいと思いました。性別も国も選ばない。なぜかと考えると、牡蠣は究極の肝の生食だということに気が付きました。牡蠣は動かず岩に張り付いている。筋肉が必要ないので、貝柱が小さくてほとんど内臓です。その内臓に栄養分を溜め込む。「牡蠣はクリーミー」の「クリーミー」は、ほとんど内臓のところを言っているんです。海中で、海水を取り込んで吐き出している生き物だから、牡蠣=海の恵みそのもの。だから海が豊かだったら牡蠣も美味しい。魚草は肝を食べてもらう店だと気が付きました。

ー産地直送以外にも仕入れているんですか?

地方市場、漁師さん、豊洲からも仕入れます。中央市場には中央市場のいいところがある。圧倒的な物量を然るべきところに回していく。その姿はすごく尊敬しているので中央市場からも常に買いたいなっていうのはあります。一概に産地直送がベストではないんです。

ー「産地直送は高い。そうあるべきだ。」とのインタビューをよみました。

そうです。それを教えてくれる人がいないんです。自分以外にも言っている人はいますが少ないですよね。漁師さんが儲からないとこの国の水産業がおかしくなるっていうのは、みんなわかっているはずなんです。「産地直送=安い」。この言葉が当たり前になっていることがおかしいです。浮いた中間業者へのマージンを加えて漁師さんから「高く」買うべきだと思っています。これはアメ横で働いていいた罪滅ぼしじゃないですけど、うちは安売りはするけど安く仕入れはしない。それは意識しています。

ーお店では多くの日本酒を取り扱っていますね。

日本酒はほとんどわからない状況から始めました。お客様を通じて東上野の酒屋さんを紹介してもらって、ご主人といろいろ話しながら仕入れていきました。魚も日本酒もみんなそうですけど、自分で選ぶより信頼関係で任せる。まず人間関係を作ってお任せしていくスタイルです。もちろんこっちからもキャッチボールでどんどんやりますけど、仕入れのスタイルは魚も日本酒一緒です。
日本酒を扱うほど、ワインとか、そういうものとは違うんだなと思います。日本酒は、ワインみたいな値段は絶対つかない。だいたい3,000円も出せば、一升瓶で美味しいものが飲めます。でも美味しさで比べた時に日本酒に3,000円の価値しかなくて、ワインにはそれ以上の価値があるっていうことではないはずです。
ワインついてあまり詳しくないですが、おそらく歴史や時間を楽しむというようなものだと思うんです。時間軸なんかが重要になってくる。日本酒は同じ銘柄でも作る年によって味は全く変わってしまうし、とにかく鮮度が命。開けた瞬間、それから何日経っているか、飲む温度帯、そういうもので全部変わってしまうわけですよね。逆に言えばそれだけ鮮度があって、その鮮度に対しての価値がある。同じ味を味わえるのは、その瞬間に食卓を囲んでいる人たちぐらいなんです。今を楽しむものだなって感じています。ワインはどちらかというとカップルや同じテーブルの少人数でシェアするものですが、日本酒はより多くのお客様とシェアして、その空間にいるお客さんみんなで語り合える。コミュニケーションのツールとしてはすごくいいですよね。

ー日本酒の鮮度が魚との相性の良さと通じているんですね。

魚草がやっているような業態に対して、あれだけ日本酒がハマったのはそういう要因はあると思います。魚草はライブを楽しむお店なので。

ー「魚草は表現の場」と常々言われていますね。

そうです。人がめちゃくちゃ来る通りで、ある一定のスペースを借りて場所を持っているっていう以上、何かしらやる責任を感じていて、誰かにこの場所をもっと使ってほしいという考えは常にあります。上野と言えば美術館も多く「芸術の杜」とよばれることもありますが、アートというものは、お客様があまり来ないギャラリーに飾るより、めちゃくちゃ商売していて人の流れがあるところでこそ飾るべきなのではと思っています。アメ横のような商店街が商いの論理で支配されて、アートの空間としては機能しないと思われているのは勿体ないです。人が来て賑わっているからこそ、魚草でやってほしい。

ーお店に立っているときの幸せは何ですか?

自分はお客様と深く付き合うのは、苦手というかあまり好きな方じゃない(笑)。割と深い付き合いが好きなお客様やスタッフも多いですけど、僕はその場限りで楽しくやる方が好きなんです。アメ横は常に一見さんが多く来る可能性がある場所。それがここでお店を構えている理由の一つでもあるんです。スタッフにも、基本的に深い付き合いになるのはやめてほしいな〜と伝えています(笑)。魚草は狭いです。10人常連で固まるなんてすぐにできてしまう。せっかく人の流れがある場所で、内輪内輪の雰囲気にしてしまうのは非常に勿体ない。新しいお客様が多く来る店であるべきだと思っています。もちろん常連のお客様も本当に大切で、バランスがすごく難しいですが(笑)。

ー魚への探究心はどこから生まれていると思いますか?

自分はまだまだ魚の知識は足りてないです(笑)。自分は全てにおいて素人。素人性みたいなものにはすごく関心があります。プロじゃないものをみんなが見に来るようなことの面白さみたいなのは常に気になっていて。物事はマニアによって消費されていくと駄目になると思っています。食べ物もアートもそうですけど、どんどん洗練されていって、観客も洗練される。そういう世界にあんまり興味がないのかもしれないですね。

ーアメヤ横丁の灯を消さないためにやっていることは何ですか?

お馴染みの歳末販売の風景に関して言えば、手前味噌ですけど、魚草は蟹をめちゃめちゃ売るんですよ。蟹の卸業者の方にもすごく協力していただいて。蟹を売る期間は信じられないくらい人が来ます。蟹を売って、アメ横の風物詩を何とか守ってきたみたいなところがあるんです。もしこれをうちがやらないってなったら、魚屋がどんどん減っていっている現状、年末は本当に寂しいアメ横になると思っています。商売度外視で、年に一度のお祭りをみんなで楽しむ。うちの場合は儲けるというより散財するみたいな感じが近いです。実際儲けは全く出ない。でも、ただ何か楽しいですよね。みんな楽しむためだけにやって、お客さんもそれをわかって来てくれる。昨年は最終的に3,000円で仕入れたものを1,000円で売って、最後の2時間は1時間当たり100万円ずつぐらい赤字を出しながら過ごしました(笑)。
本当に何て言うんすかね。仕入れすぎちゃって……(笑)。

ー魚だけではなく様々なことへの探究心が感じます。

魚に対しての知らないことを探求したり、こうやって何かをお話させていただいたりするのも楽しい。この記事を読んで、普段魚草に来るお客様とは全然違う方の目に触れる。それで少しでも普段とは違う毛色の人がうちの店に来てくれれば嬉しいです。

アメ横 魚草
住所:
〒110-0005
東京都台東区上野6―10―7 29号

営業時間:
平日12時~19時半
休日12時~19時半

WEBSITE : https://www.uokusa.jp
Twitter : @UOKUSAsakenome