笑ってもらえればいい

今立進
エレキコミック #お笑い芸人

サインを頂いた時だった。
「相方にも書いてもらうでしょ?それを想定して、ここ空けておくね」
そうやって右端に書かれたサインを見て
改めて芸人のかっこよさを知る。

ーお笑いとの出会いは?

小学校入学前の「ザ・ドリフターズ」です。「8時だョ!全員集合」を夢中になって観ていました。

ーお笑い芸人を目指すようになったのはいつ頃でしょうか?

小学生からですね。お楽しみ会でひょうきん族のパロディみたいなことをしてました。今でも、その笑いをとった原体験、気持ちよかったのが続いちゃってるんですよね。
高校生の文集には、「将来の夢はお笑いに携われる仕事」って書いてありました。
今思うと……芸人でいいだろ!って思うんですけど(笑)。自意識が爆発していると思いません?撫でる感じが(笑)。

ーお笑いを意識したきっかけに、家族の影響はありますか?

ほとんどないですね。自分が小さい頃の父親は、寡黙で話をした記憶もあまりないくらい。
でも小学校高学年くらいのとき、町内会のイベントで父親が女装して現われたんですよ。そんなの家庭で見たことないからびっくりして……(笑)。後々知るんですが、本当は父親は人前に出るのが好きなタイプだったんです。俳優になりたいと思っていた時期もあったみたいで。でも子どもの前では寡黙な父親を演出していた。何か思うところがあったんでしょうね。
僕がお笑い芸人になってメディアに出ると嬉しそうでしたよ。
昔、バカリズムとエレキコミックでやっていた「軟式放送部エレバカ!」というBSの番組に父親が出た回があって、後生大事に録画したビデオを何回も見直してるって、母親が言ってましたからね。

ー高校生の頃からコンビを組んでいらしたそうですね?

「トリオTHE連立政権」というトリオを組んでいました。
バレーボール部だったんですが、面白い奴らが集まっていたんです。
合宿では出し物するのが恒例で、いいアイデアないかな~と考えたとき、コントやりたいなと。部の友達に声をかけてネタを作り始めたのがきっかけです。基本的にはショートコントやっていました。わかりやすいしネタとしても作りやすい。3、4分のネタを考えるのはしんどいけど、ショートだったら何とか作れました。

ー大学入学後、落研に入ることは決めていたんですか?

最初から何となくですが自信があったんです。小さいコミュニティですが高校ではそれなりに笑いも取れていたので、いけるだろうなって思っていました。
コントやお笑いがやりたいと思っていたので、落語一色だったら入るのをやめようと思ってたんですが、新歓で誰も落語はやっていなかったので良いな! って、入部しました。
はじめは「トリオTHE連立政権」のメンバーだった佐々木と組んで「ジ・アンチョビー」を結成したのですが、佐々木が公認会計士を目指すということで大学2年生で解散、その後は同期の澤田と「ポゲムタ」を結成しました。

ー大学生でのコンビ解散は普通にあることですか?

あっけないですよ。人の人生に責任も持てないですし、部活でしたから。

ー「ポゲムタ」での思い出を教えてください。

澤田はキャイ~ンのウドさんみたいな、天然ボケの楽しいやつでしたね。最初、澤田は先輩のヒロさん(ヒロハラノブヒコさん)とコンビを組んでいたんですが、ヒロさんの卒業でコンビが解散になったんです。それで余っていた僕と組むことになった。それまで僕はボケだったんですが、「ポゲムタ」で初めてツッコミをやるようになったんです。
そこからツッコミ人生ですね。ボケてもいるんですけど。

ー「ポゲムタ」でプロになろうと思ったことはありますか?

全くないです。1、2年の頃から、将来やついと組むと信じていたんです。
当時プロ志望があるのはやついしかいなかったですし、ゆくゆくはそうなるだろうなと。やついとそれを話していたわけじゃないんですが、お互い肌感覚で何となくそう思い続けていたんだと思います。僕1年生の時、毎日やついに電話していますからね。1、2時間くらい。やついさん、いま暇ですか?って。すごい気持ち悪くないですか?(笑)。そんくらい好きだったんですよね。
やついは面白かったですし、お笑いの感覚が似ていて、自分には知らないこともたくさん知っていました。当時から兄貴的なところもありました。本当に何となく、コンビ組むんだろうなって思っていたんです。

ー大学生活はどうでしたか?

めちゃくちゃ楽しかったですよ。お笑いの大会で全国優勝も経験しました。プロへの入り口になった大会なので、あれがなかったら今の人生は違ったものになっていたと思います。
それまで大会は出たことなかったので、自分の実力が一般にどのくらい通用するのかもわかっていなかった。みんなでネタ見せ合ってこうしよう、あーしようとか言い合って、笑いを真剣に考えていました。部活でやっていたことは自分の起点ですね。

ー1997年からやついいちろうさんとエレキコミックを結成されました。

最初は全然、うまくいかなかったんです。それまでお互いネタを書いていたので、あーだこーだ出し合っていたんですが全く噛み合わなかった。面白いとは思うけどウケない。やっていてもしっくりこない。
1年くらい経ったとき、やついが学生の頃に作った銭湯のネタを試しにやってみたんです。両ボケ・両ツッコミをやめて、はっきりボケとツッコミ分けたネタをやったんです。それがウケた。
そこから、ネタはやついに任せて、俺はツッコミに専念した方がいいなと思いました。僕が言いたいことは、ツッコミの中で言うことで笑いをとるやり方もあるなって、自分の中できれいに納得できたんですね。そしてだんだん、うまく歯車が噛み合ってきた印象ですね。

ー第1回発表会「威風堂々」(2000年)のときはどんな気持ちでしたか?

しんどすぎてほとんど覚えてないんですよね。当日も朝までネタ合わせしていました。全てが初めてのことだったので、本当に空気の悪い定食屋のような感じでしたね(笑)。料理人から従業員まで全員悪口を言い合って喧嘩しているような(笑)。
ありがたいことに、お客さんは満員でした。他のライブに出たとき、やついのパワープレゼンでチケットを買ってもらっていました。引っ込み思案の自分はその部分は引け目がありましたね。でもずっと心で感謝はしていましたよ(笑)。舞台で返せればいいなと思ってました。

ーこれはやっていける!と確信を持ったネタはありますか?

第2回発表会「真夏の大勝利宣言」のときに作った、「ヤッツンバーガー」というネタです。NHKの新人演芸大賞も獲れましたし、オンエアバトルにも出られました。

ー最初から食べていけたんですか?

最初はバイト代くらいの稼ぎでしたね。2、3万とかだったような?僕は実家だったのでなんとか生活はできていました。母親がソニーの子会社で働いていて、ソニーの社員がもらえる手帳があるんですね。その手帳に毎月の仕事の数とギャラを書いているんですよ。最初、お笑いだけでギャラをもらえる、仕事が増えることが嬉しかったんですよね。それは今でも書いていて、もう20数冊になりました。母親が退職してもらえなくなってからは、ヤフオクとかで買ってます。

ー2006年から片桐仁さんと「JUNKサタデー エレ片のコント太郎」が始まります。どういった経緯だったのでしょうか?

ラーメンズの人気のお陰だったと思います。本当はラーメンズにラジオをやらせたいけど、小林賢太郎が断って。話がきたのは事務所的にもありがたいので、片桐とエレキでどうですか? って流れだったと思います。
最初はすぐに終わると聞かされてたんですが、ありがたいことに15年も続きました。2021年からは「エレ片のケツビ!」としてリニューアルスタートしています。それまでの2時間から1時間になったんですが、良くなった気がしています。Podcast も本番と違う空気感で、切り替えができるので面白いですね。ぜひ、聴いて欲しいです。

ー最初にラジオに出たのはいつですか?

学生の頃、「全国大学対抗お笑い選手権大会」で「ポゲムタ」として優勝したときですね。
当時のディレクターにめちゃくちゃ怒られました。聴く人が見えていない。ある話をした時に、それを知らない人に伝わるかどうか。聴く人への気遣いが全くできてなかった。そこをちゃんと壊してもらったのはありがたかったですね。

ー今立さんにとって、賞レースとはどんな存在ですか?

僕らもプロになったきっかけがお笑いの大会ですし、面白いものですよ。
M-1 しかなかったので、キングオブコントができたときはやっときたな~という気持ちでした。2008年の1回目から参加して、3回目の2010年には決勝にも行けました。断トツの最下位でしたけど(笑)。

ーテレビに出たいという気持ちはありますか?

どうですかね~合わないのかな? と思い始めてはいますね。自分から否定するほどテレビにも出てないんですけどね(笑)。何かあればチャレンジはしてみようとは思っています。一回呼ばれて次は一年後……だとテレビのスキルが積めないので、うまくいかないんですよね。その辺りの経験不足は感じています。(笑)。

ーテレビでこれは失敗したな……と覚えているエピソードなどありますか?

でっかいチャンスは逃していると思いますよ。「新しい波8」って番組でハズして「はねるのトびら」にも出られず……キングオブコントの決勝でもハズして……記憶に残る失敗が大きすぎるんだと思いますよ(笑)。大きい失敗が大きすぎる(笑)。

ーエレキコミックはお客さんとの距離が近いですよね。

昔からお客さんとの繋がりはあったと思います。毎回ライブに来てくれるお客さんもいたり。お客さんへの対応は今も昔も変わってない。
相方も昔から言ってたのですが、お客さんに俺らのことを親族だと思わせよう、と。いとこの子がお笑いやってるから見に行ってあげよう、みたいな感覚にしたいんです。その方がお笑いに対するハードルも下がる。
今でも僕らはエレマガというメールマガジンを配信していて、そこでお客さんと交流できるのが楽しいですよ。色々な人の話って面白いですよね。業種も違う人に会える。一般の人って言い方はあんまり好きじゃないんですが……一般の人の方が面白いって僕らは思っています。お客さん同士が付き合いました、結婚しました、子どもできました、とか聞くと、僕らももう、親戚のおじさんのような気持ちですよ。

ーライブの醍醐味はどういうところですか?

やっぱり本番中が一番楽しいですよ。
台本通りの笑いではなく、少し台本から外れて二人が楽しみ出す。二人がついつい笑いながらお互いが掛け合いでやってる時の楽しさは、なかなか他では体験できないことですよね。お笑いならではだと思います。
どう? これ面白い題材じゃない? と、僕らが面白いと思っていること、楽しめることを見せる。それがウケないことはありますが、次には修正して作り上げていくんです。それも楽しいです。昔、単独公演で漫才やって、ウケなくてすぐにやめたこともありました。

ーエレキコミックの公演はいつも新作のみですよね。

新作の方が楽しいですし、お客さんにも出来上がったものよりかは常に提案し続けたい。同じものを見せられても飽きるじゃないですか? 同じネタをやるときでも相方は常に壊してくるので、入り口は一緒ですが全部違う話になる。色々な分岐があるのでやれるんだと思います。

ー作家さんはコンビにとってどんな存在ですか?

僕らにとって、作家さんはいい感じにまとめてくれる人。口立てのものを本にしたりストックしたりしてくれる人。とっちらかっているのをきゅっとまとめてくれる人がいると、それをたたき台に次へ進めるんです。面白いことへと繋がっていく。
ネタは基本的に相方が考えているので、「こういうネタを考えてきたんですけど、どうですか?」という関わり方ではないですね。
でも作家さん達はみんな、忙しくなって来られなくなっちゃうんですよ。すると単独前は日々ネタが変わっていくので、ネタが動かなくなるんですよね。
ネタが出来上がっていれば二人で練習すればいいんですけど。作家さんがいた方が円滑に進むんです。そこはエレキの血が濃くない方がいいんです。

ー笑わせることと笑われること、どちらが好きですか?

どっちでもいいです。笑ってもらえればいいんです。

ーお笑い芸人になる条件はありますか?

ないですね。みんな面白いと思いますよ。さっきも話しましたが、みんなの話聴きたいですよ。
僕らがここまでやってこられたのは、誰かが使ってくれたからでしょうね。誰かがお金をくれたからです。そして、また僕らはやりたいからやる。笑いをとりたい。笑わせたい。舞台に立ったら面白くしたい。幸運にもその繰り返しができているんですよね。

ー芸人の引退については考えたことはありますか?

仕事がなくなったら、ですかね。終わりは考えてないですよ。自分がそう思ったときとしか言いようがないですよね。芸人には免許なんてないですし、入るのも出るのも自分で決めるんだと思います。
僕は人生極度の近視で、目の前のものしか見なくていいやと思ってるんです。先のことは不安だし考えない。相方は先を考えるのが得意なので、頼っている部分もあります。身近なものに集中させてもらって、ありがたいですね。

ー相方ってどんな存在ですか?

これは答えが出ないんですよね。恋人、家族、ビジネスパートナーとも言い切れない。コンビによって変わってくるとは思うんですが、僕にとっては「一個上の先輩」。もちろん今はタメ語だし気軽に話してはいますが、言葉にすると「先輩」なんですよね。

ー今後やりたいことはありますか?

ないんです。お笑い芸人になりたかったので。そこからの野望を全く考えてなかったんです。今は一日でも長くエレキコミックを続けること。これ以外は考えてないです。真面目に話すことの抵抗はもうないんですよね。
もうね……40歳超えて恥ずかしいことなんてないですよ。それに隠すことなんて一つもないですからね。

今立 進(いまだち すすむ)
1975年 東京都生まれ。トゥインクル・コーポレーション所属のお笑いコンビ「エレキコミック」のツッコミ。相方はやついいちろう。
趣味:レトロゲーム、シューティングゲーム、格闘ゲームなど多数。
東京ゲームショーのレポーターなどゲーム関連イベントにも多数出演。
毎週土曜25時~、TBSラジオ「エレ片のケツビ!」に出演中。
Nintendo DREAMにて連載中。

サイト: https://elecomi.com/
Twitter : @elec_imadachi
Photo:Makoto Nakamori,Asuka Ito
Text:Makiko Namie, Makoto Nakamori

取材協力:中野新橋ホルモン良ちゃん
〒164-0013 東京都中野区弥生町2丁目27−6
電話:03-3229-1129

笑ってもらえればいい

今立進
エレキコミック #お笑い芸人

サインを頂いた時だった。
「相方にも書いてもらうでしょ?それを想定して、ここ空けておくね」
そうやって右端に書かれたサインを見て
改めて芸人のかっこよさを知る。

ーお笑いとの出会いは?

小学校入学前の「ザ・ドリフターズ」です。「8時だョ!全員集合」を夢中になって観ていました。

ーお笑い芸人を目指すようになったのはいつ頃でしょうか?

小学生からですね。お楽しみ会でひょうきん族のパロディみたいなことをしてました。今でも、その笑いをとった原体験、気持ちよかったのが続いちゃってるんですよね。
高校生の文集には、「将来の夢はお笑いに携われる仕事」って書いてありました。
今思うと……芸人でいいだろ!って思うんですけど(笑)。自意識が爆発していると思いません?撫でる感じが(笑)。

ーお笑いを意識したきっかけに、家族の影響はありますか?

ほとんどないですね。自分が小さい頃の父親は、寡黙で話をした記憶もあまりないくらい。
でも小学校高学年くらいのとき、町内会のイベントで父親が女装して現われたんですよ。そんなの家庭で見たことないからびっくりして……(笑)。後々知るんですが、本当は父親は人前に出るのが好きなタイプだったんです。俳優になりたいと思っていた時期もあったみたいで。でも子どもの前では寡黙な父親を演出していた。何か思うところがあったんでしょうね。
僕がお笑い芸人になってメディアに出ると嬉しそうでしたよ。
昔、バカリズムとエレキコミックでやっていた「軟式放送部エレバカ!」というBSの番組に父親が出た回があって、後生大事に録画したビデオを何回も見直してるって、母親が言ってましたからね。

ー高校生の頃からコンビを組んでいらしたそうですね?

「トリオTHE連立政権」というトリオを組んでいました。
バレーボール部だったんですが、面白い奴らが集まっていたんです。
合宿では出し物するのが恒例で、いいアイデアないかな~と考えたとき、コントやりたいなと。部の友達に声をかけてネタを作り始めたのがきっかけです。基本的にはショートコントやっていました。わかりやすいしネタとしても作りやすい。3、4分のネタを考えるのはしんどいけど、ショートだったら何とか作れました。

ー大学入学後、落研に入ることは決めていたんですか?

最初から何となくですが自信があったんです。小さいコミュニティですが高校ではそれなりに笑いも取れていたので、いけるだろうなって思っていました。
コントやお笑いがやりたいと思っていたので、落語一色だったら入るのをやめようと思ってたんですが、新歓で誰も落語はやっていなかったので良いな! って、入部しました。
はじめは「トリオTHE連立政権」のメンバーだった佐々木と組んで「ジ・アンチョビー」を結成したのですが、佐々木が公認会計士を目指すということで大学2年生で解散、その後は同期の澤田と「ポゲムタ」を結成しました。

ー大学生でのコンビ解散は普通にあることですか?

あっけないですよ。人の人生に責任も持てないですし、部活でしたから。

ー「ポゲムタ」での思い出を教えてください。

澤田はキャイ~ンのウドさんみたいな、天然ボケの楽しいやつでしたね。最初、澤田は先輩のヒロさん(ヒロハラノブヒコさん)とコンビを組んでいたんですが、ヒロさんの卒業でコンビが解散になったんです。それで余っていた僕と組むことになった。それまで僕はボケだったんですが、「ポゲムタ」で初めてツッコミをやるようになったんです。
そこからツッコミ人生ですね。ボケてもいるんですけど。

ー「ポゲムタ」でプロになろうと思ったことはありますか?

全くないです。1、2年の頃から、将来やついと組むと信じていたんです。
当時プロ志望があるのはやついしかいなかったですし、ゆくゆくはそうなるだろうなと。やついとそれを話していたわけじゃないんですが、お互い肌感覚で何となくそう思い続けていたんだと思います。僕1年生の時、毎日やついに電話していますからね。1、2時間くらい。やついさん、いま暇ですか?って。すごい気持ち悪くないですか?(笑)。そんくらい好きだったんですよね。
やついは面白かったですし、お笑いの感覚が似ていて、自分には知らないこともたくさん知っていました。当時から兄貴的なところもありました。本当に何となく、コンビ組むんだろうなって思っていたんです。

ー大学生活はどうでしたか?

めちゃくちゃ楽しかったですよ。お笑いの大会で全国優勝も経験しました。プロへの入り口になった大会なので、あれがなかったら今の人生は違ったものになっていたと思います。
それまで大会は出たことなかったので、自分の実力が一般にどのくらい通用するのかもわかっていなかった。みんなでネタ見せ合ってこうしよう、あーしようとか言い合って、笑いを真剣に考えていました。部活でやっていたことは自分の起点ですね。

ー1997年からやついいちろうさんとエレキコミックを結成されました。

最初は全然、うまくいかなかったんです。それまでお互いネタを書いていたので、あーだこーだ出し合っていたんですが全く噛み合わなかった。面白いとは思うけどウケない。やっていてもしっくりこない。
1年くらい経ったとき、やついが学生の頃に作った銭湯のネタを試しにやってみたんです。両ボケ・両ツッコミをやめて、はっきりボケとツッコミ分けたネタをやったんです。それがウケた。
そこから、ネタはやついに任せて、俺はツッコミに専念した方がいいなと思いました。僕が言いたいことは、ツッコミの中で言うことで笑いをとるやり方もあるなって、自分の中できれいに納得できたんですね。そしてだんだん、うまく歯車が噛み合ってきた印象ですね。

ー第1回発表会「威風堂々」(2000年)のときはどんな気持ちでしたか?

しんどすぎてほとんど覚えてないんですよね。当日も朝までネタ合わせしていました。全てが初めてのことだったので、本当に空気の悪い定食屋のような感じでしたね(笑)。料理人から従業員まで全員悪口を言い合って喧嘩しているような(笑)。
ありがたいことに、お客さんは満員でした。他のライブに出たとき、やついのパワープレゼンでチケットを買ってもらっていました。引っ込み思案の自分はその部分は引け目がありましたね。でもずっと心で感謝はしていましたよ(笑)。舞台で返せればいいなと思ってました。

ーこれはやっていける!と確信を持ったネタはありますか?

第2回発表会「真夏の大勝利宣言」のときに作った、「ヤッツンバーガー」というネタです。NHKの新人演芸大賞も獲れましたし、オンエアバトルにも出られました。

ー最初から食べていけたんですか?

最初はバイト代くらいの稼ぎでしたね。2、3万とかだったような?僕は実家だったのでなんとか生活はできていました。母親がソニーの子会社で働いていて、ソニーの社員がもらえる手帳があるんですね。その手帳に毎月の仕事の数とギャラを書いているんですよ。最初、お笑いだけでギャラをもらえる、仕事が増えることが嬉しかったんですよね。それは今でも書いていて、もう20数冊になりました。母親が退職してもらえなくなってからは、ヤフオクとかで買ってます。

ー2006年から片桐仁さんと「JUNKサタデー エレ片のコント太郎」が始まります。どういった経緯だったのでしょうか?

ラーメンズの人気のお陰だったと思います。本当はラーメンズにラジオをやらせたいけど、小林賢太郎が断って。話がきたのは事務所的にもありがたいので、片桐とエレキでどうですか? って流れだったと思います。
最初はすぐに終わると聞かされてたんですが、ありがたいことに15年も続きました。2021年からは「エレ片のケツビ!」としてリニューアルスタートしています。それまでの2時間から1時間になったんですが、良くなった気がしています。Podcast も本番と違う空気感で、切り替えができるので面白いですね。ぜひ、聴いて欲しいです。

ー最初にラジオに出たのはいつですか?

学生の頃、「全国大学対抗お笑い選手権大会」で「ポゲムタ」として優勝したときですね。
当時のディレクターにめちゃくちゃ怒られました。聴く人が見えていない。ある話をした時に、それを知らない人に伝わるかどうか。聴く人への気遣いが全くできてなかった。そこをちゃんと壊してもらったのはありがたかったですね。

ー今立さんにとって、賞レースとはどんな存在ですか?

僕らもプロになったきっかけがお笑いの大会ですし、面白いものですよ。
M-1 しかなかったので、キングオブコントができたときはやっときたな~という気持ちでした。2008年の1回目から参加して、3回目の2010年には決勝にも行けました。断トツの最下位でしたけど(笑)。

ーテレビに出たいという気持ちはありますか?

どうですかね~合わないのかな? と思い始めてはいますね。自分から否定するほどテレビにも出てないんですけどね(笑)。何かあればチャレンジはしてみようとは思っています。一回呼ばれて次は一年後……だとテレビのスキルが積めないので、うまくいかないんですよね。その辺りの経験不足は感じています。(笑)。

ーテレビでこれは失敗したな……と覚えているエピソードなどありますか?

でっかいチャンスは逃していると思いますよ。「新しい波8」って番組でハズして「はねるのトびら」にも出られず……キングオブコントの決勝でもハズして……記憶に残る失敗が大きすぎるんだと思いますよ(笑)。大きい失敗が大きすぎる(笑)。

ーエレキコミックはお客さんとの距離が近いですよね。

昔からお客さんとの繋がりはあったと思います。毎回ライブに来てくれるお客さんもいたり。お客さんへの対応は今も昔も変わってない。
相方も昔から言ってたのですが、お客さんに俺らのことを親族だと思わせよう、と。いとこの子がお笑いやってるから見に行ってあげよう、みたいな感覚にしたいんです。その方がお笑いに対するハードルも下がる。
今でも僕らはエレマガというメールマガジンを配信していて、そこでお客さんと交流できるのが楽しいですよ。色々な人の話って面白いですよね。業種も違う人に会える。一般の人って言い方はあんまり好きじゃないんですが……一般の人の方が面白いって僕らは思っています。お客さん同士が付き合いました、結婚しました、子どもできました、とか聞くと、僕らももう、親戚のおじさんのような気持ちですよ。

ーライブの醍醐味はどういうところですか?

やっぱり本番中が一番楽しいですよ。
台本通りの笑いではなく、少し台本から外れて二人が楽しみ出す。二人がついつい笑いながらお互いが掛け合いでやってる時の楽しさは、なかなか他では体験できないことですよね。お笑いならではだと思います。
どう? これ面白い題材じゃない? と、僕らが面白いと思っていること、楽しめることを見せる。それがウケないことはありますが、次には修正して作り上げていくんです。それも楽しいです。昔、単独公演で漫才やって、ウケなくてすぐにやめたこともありました。

ーエレキコミックの公演はいつも新作のみですよね。

新作の方が楽しいですし、お客さんにも出来上がったものよりかは常に提案し続けたい。同じものを見せられても飽きるじゃないですか? 同じネタをやるときでも相方は常に壊してくるので、入り口は一緒ですが全部違う話になる。色々な分岐があるのでやれるんだと思います。

ー作家さんはコンビにとってどんな存在ですか?

僕らにとって、作家さんはいい感じにまとめてくれる人。口立てのものを本にしたりストックしたりしてくれる人。とっちらかっているのをきゅっとまとめてくれる人がいると、それをたたき台に次へ進めるんです。面白いことへと繋がっていく。
ネタは基本的に相方が考えているので、「こういうネタを考えてきたんですけど、どうですか?」という関わり方ではないですね。
でも作家さん達はみんな、忙しくなって来られなくなっちゃうんですよ。すると単独前は日々ネタが変わっていくので、ネタが動かなくなるんですよね。
ネタが出来上がっていれば二人で練習すればいいんですけど。作家さんがいた方が円滑に進むんです。そこはエレキの血が濃くない方がいいんです。

ー笑わせることと笑われること、どちらが好きですか?

どっちでもいいです。笑ってもらえればいいんです。

ーお笑い芸人になる条件はありますか?

ないですね。みんな面白いと思いますよ。さっきも話しましたが、みんなの話聴きたいですよ。
僕らがここまでやってこられたのは、誰かが使ってくれたからでしょうね。誰かがお金をくれたからです。そして、また僕らはやりたいからやる。笑いをとりたい。笑わせたい。舞台に立ったら面白くしたい。幸運にもその繰り返しができているんですよね。

ー芸人の引退については考えたことはありますか?

仕事がなくなったら、ですかね。終わりは考えてないですよ。自分がそう思ったときとしか言いようがないですよね。芸人には免許なんてないですし、入るのも出るのも自分で決めるんだと思います。
僕は人生極度の近視で、目の前のものしか見なくていいやと思ってるんです。先のことは不安だし考えない。相方は先を考えるのが得意なので、頼っている部分もあります。身近なものに集中させてもらって、ありがたいですね。

ー相方ってどんな存在ですか?

これは答えが出ないんですよね。恋人、家族、ビジネスパートナーとも言い切れない。コンビによって変わってくるとは思うんですが、僕にとっては「一個上の先輩」。もちろん今はタメ語だし気軽に話してはいますが、言葉にすると「先輩」なんですよね。

ー今後やりたいことはありますか?

ないんです。お笑い芸人になりたかったので。そこからの野望を全く考えてなかったんです。今は一日でも長くエレキコミックを続けること。これ以外は考えてないです。真面目に話すことの抵抗はもうないんですよね。
もうね……40歳超えて恥ずかしいことなんてないですよ。それに隠すことなんて一つもないですからね。

今立 進(いまだち すすむ)
1975年 東京都生まれ。トゥインクル・コーポレーション所属のお笑いコンビ「エレキコミック」のツッコミ。相方はやついいちろう。
趣味:レトロゲーム、シューティングゲーム、格闘ゲームなど多数。
東京ゲームショーのレポーターなどゲーム関連イベントにも多数出演。
毎週土曜25時~、TBSラジオ「エレ片のケツビ!」に出演中。
Nintendo DREAMにて連載中。

サイト: https://elecomi.com/
Twitter : @elec_imadachi
Photo:Makoto Nakamori,Asuka Ito
Text:Makiko Namie, Makoto Nakamori

取材協力:中野新橋ホルモン良ちゃん
〒164-0013 東京都中野区弥生町2丁目27−6
電話:03-3229-1129