もっとやれる

野口強 #スタイリスト

「満足しない」その尽きることない欲望の果てに

ー本日は endura にご協力いただき感謝しております!

断る理由もないし、自分が喋ることで少しでも役に立つことがあるなら協力しますよ。

ー中学生の頃からディスコでバイトしていたそうですが、何故ですか?

その頃は色々、コネ使ったり歳を誤魔化しながら働いてましたね。人や働くことに興味があったんだよね。ディスコに限らず、ギャラのいい仕事は高校を卒業するまでに大概やりました。働くと色々な人に出会うじゃない? 同世代の友達もいたけど、やっぱり年上の人の方が面白くてね。昔の大阪は濃い人が多かったからね。

ースタイリストという職業を知るきっかけは?

「POPEYE」ですね。「POPEYE」は遊びにしてもファッションにしても教科書的な感じでした。昔って雑誌に教わることがすごく多かった。雑誌の作り手、編集者の熱量が出てたと思います。
「POPEYE」は遊び人、「CHECKMATE」「Hot-Dog PRESS」は童貞っぽいイメージ。今の編集者は真面目。キャラの濃い人は少ないかな。

ー高校卒業後は NY に行かれたそうですね。

友達が NYU(ニューヨーク大学)に行っていて、遊びに行ったんだよね。当時の NY はパーティー文化があって、そこに潜り込んでは、アンディ・ウォーホールやグレイス・ジョーンズ見たり、トスカーニに写真撮られたり。グレイス・ジョーンズが小さかったことに驚いたな。みんな着てる服も飲み方もすごい。完全にお上りさんだよね。見たことある人いるなー! みたいなね。
その経験が今、何かに反映されてるかはわかんないけど、面白い時に行けてよかった。いい意味で緊張感もあったしね。今じゃ考えられないもんね。

ーモデル時代の印象的なエピソードはありますか?

80年代、 TOKIO KUMAGAI のルックブックの撮影でパリに行って、ピーター・リンドバーグに撮られたこと。ピンナップスタジオで。その時のヘアはジュリアン、メイクはステファン・マレー。ジュリアンにプロゴルファー猿みたいな髪型にされたな……。リンドバーグはすごいいい人だったのを覚えてる。

ー大久保篤志さんのアシスタントについた経緯を教えてください。

大阪でスタイリストのアシスタントをしながら「花椿」のモデルをしていて、その撮影で1〜2ヶ月に数回、東京に通っていたんです。東京に行ったら飲みに行くじゃない? 大久保篤志さんとは夜の遊び場で知り合ったんですよね。
当時、NY に行こうかどうか迷っていたんですが、アシスタントやらないかと声かけてもらって……目先の金に目が眩んだよね(笑)。あのとき NY 行っていればな〜、また違ったと思うんだよな〜、とか思ったりもしたけど(笑)、良いタイミングだったんだと思います。

ーアシスタント時代の同期には馬場(馬場圭介)さんもいらっしゃいましたよね。

馬場さんとは2年近く一緒に働いていました。まあ〜大変でしたよ、書けないことはたくさんある(笑)。
その時期、祐真(祐真朋樹)さんとも仕事したことありますよ。「POPEYE」のスーツ特集の撮影。スーツのVゾーンだけでも100カットくらいあって……馬場さん、祐真さんとすっごく大変な思いをした撮影なので、よく覚えてますね。

ー今もご活躍のスタイリストの方々が雑誌などに登場する時期だったんですね。

スタイリストという職業がもてはやされていたタイミングだったんだよね。
今だったら普通にあるけど、昔はスタイリストの一週間コーディネートとか考えられなかった。今は全然、人気ないと思うよ。アシスタントになりたいって人も圧倒的に少ないし。今の人たちはファッションの優先順位は低いでしょ。お金は他のことに使う。ファッションは二の次じゃない? けど、自分たちの若い頃はまず最初に洋服だった。お金ないけど、借金してでも服を買う人間がいっぱいいたんだよね。

ー25歳で独立されたんですよね? 最初はどんな仕事をされていましたか?

最初はマガジンハウスによくお世話になりました。
マガジンハウスに行けばご飯も食べられるし、帰りはタクシーチケットがもらえる。お金には困らなかった。遊びに行くところはタダで飲ませてもらえるしお金を使うことがなかった。お金なくても楽しかったもんね。

ータレントワークと雑誌ワークはどちらが好きですか?

タレントワークは本人ありきなので自分の考えを押し付けることはしません。雑誌ではもう少し自由に提案できるけど、エゴな表現はアウト、それは作品撮りでやるべきもの。雑誌の枠の中で提案しないといけない。何でもかんでも許されるってわけじゃない。

ーでは、クライアントワークについてのお考えは?

若い時は、「商品が赤だから洋服も赤」ってなんでだよ! ダセーなっ! て露骨に顔に出すくらいだった。めんどくさいスタイリストだと思われてたんだろうな。
今でもそれが決して良いとは思わないけど、大人になったのかな?(笑)。それも良いですけどもう少し違う考え方もありますよね? みたいなキャッチボールをできるようになってきた。それでもここ5年くらいじゃないかな? いっときは広告はやらなくても良いと思ってた、本当に。

ー両立はやはり難しいのでしょうか?

一時期、広告や芸能の仕事が多い時期があったんですが、このままじゃマズイな……、真面目に雑誌やった方がいいなって思ったんです。
自分がそういう状況の時も祐真さんは雑誌メインにやっていたのを見て、すごいなって思ってました。パリコレも、祐真さんが自分より5、6年先に行っているのを見ていて、一緒に行くようになったんだよね。その辺から、スタイリストになったんだからファッションやんないと……って考えが出てきた。広告やタレントさんをやればお金にはなるけど、バランスがおかしくなってくるんだよね。どっちかに偏りすぎる。ファッションに偏る分には良いと思うんだ。そういう意味では、祐真さんはずっと前からバランスが良かったですよね。

ー野口さんは写真コレクターでも有名ですよね。最初に買った作品は?

ブルース・ウェバーです。90年代の頭なのかな?

ー高い買い物だな、という感覚は……?

高いっしょ! 50万ぐらいしたもん。2枚で100万だよ!? まじかよ! みたいなね。その値段も、今じゃ考えられないけど。ブルース・ウェバーは基本、写真集の方がいいし、一枚の写真より一冊で見る方が好きなんだけど、それでも一枚の写真を買いたいと思って。知人にセットアップしてもらって、リオデジャネイロの中の2枚を買いました。痺れたよね。

ーデジタル写真を買ったことはありますか?

ないです。

ー他のアートは買いますか?

写真だけですね。絵とか勧められるんだけど難しくて。

ー買うにあたってのこだわりは?

写真集はなるべくファーストエディションが欲しい……それやり出したらきりがないけどね。

ー他にはどんな作品をお持ちですか?

アーヴィング・ペンやラリー・クラークは頑張って買いましたね。ラリー・クラークの作品は70年か80年代に100部作ったタルサの15枚セットを譲ってもらいました。本人が日本に来た時見せたら、「いいの持ってるな!」と言われてサインしてもらいました。

ーラリー・クラーク氏とはその後、どのようにつながっていったのでしょうか?

「Huge」の撮影でダメ元で頼んでみたらOKもらったんです。そこから何回か仕事をお願いしました。
日本に来た時は自分の事務所を作業場として使ってもらいました。あの人はとにかく寝ない。エディティングも本人が納得するまでやる。写真のコピーとって何パターンも並びを試行錯誤……他にも結構色々やらされましたよ(笑)。その代わり、自分たちがこういうことやりたいって言ったら、すごく協力してくれる。

ーワコマリアの写真集も作りましたよね。

きつかったよ(笑)。LA のメキシカンの家に張り付いて……。今は、そういうことをやろうとする人が少ないのが残念だよね。

ー若いカメラマンと組む際はどんな印象がありますか?

少し前、若手が次々出てきた時は、「おっ!」って思ったけど、今の子たちはみんなふわっとしたロケ写真ばっかりで……。狙っているところが一緒なのか、みんな写真が似てる。流行りなのかな? それはそれでいいんだけど、スタジオに連れて行ったらライティングが出来ない人がいたり……。得意なことばかりやるのもいいけど、ロケもスタジオも両方しっかりできた方が長く業界に居続けられる気がします。

ースタイリストになれる条件みたいなものはありますか?

基礎さえできれば良いと思うんだ。あとは自分の感性。
カメラマンはすごいと思うよ。前に米ちゃん(米原康正さん)の仕事で、写真家じゃない人たちに写真を撮らせる企画があって、参加したことがあったんです。モデルは AV 女優、お題はセクシーな写真。それぞれが12ページぐらいあって、まあ大変だった。
考えることがたくさんある。モデルにあれこれ指示したり、自分の欲求が多すぎて全然シャッターが切れなくなった。その時、カメラはやるもんじゃないなって。俺は後ろからやんや言った方が向いてるな、ディレクション側に回った方がいいなって思ったんだよね。

ーディレクション号もやられてますもね。本当に全部やってるんですか?

やってますよ!丸ごと一冊の時はブツ撮りから全部。きついけど(笑)。20ページがちょうどいいかな? 一冊全部集中は厳しい。どっか散漫になる。そうならないように心掛けるんだけど、気を抜いてしまう瞬間も出る。それでも、編集者とのキャッチボールをやりながら進めていきますよ。さっきも言いましたけど、エゴでは意味がない。編集者の意見も取り入れながら作り上げないとダメです。

ーStie-loのプリントTシャツにはこだわりを感じます。

基本的には自分が好きな人たちにお願いしています。写真のプリントをTシャツにするのは本当に大変です。白ボディは良いんだけど黒ボディに忠実に色を出すのが大変。エディ・スリマンのやつはものすごく大変でした。何遍もやり直して。時期にもよるし、インクにもよるから色々な印刷会社さんにお願いしながらやってますよ。モノクロの写真を選ぶことが多いから黒を出すのが難しい。写真のプリントと一緒です。

ースタイリスト界のアシスタントの労働環境などについてはどのようにお考えですか?

自分はひどい扱いはされてこなかったし、させてないつもり。でも今でもお金払わないとか、度を過ぎるくらいの時間拘束して働かせるみたいな話は入ってくる。
そんな話を聞くと悪い評判が出て業界全体のイメージが悪くなるよね。家賃も払えないような給料でアシスタントさせるのはよくないですよ。そんな業界だったらスタイリストになりたい人はいないよね。せめて最低ラインは保証してあげてほしいし、無理なら雇わなきゃいい。

ー業界の先輩たちとは一緒に仕事なさってますよね。

写真の業界だと荒木さん、森山さん、操上さん、篠山さんは未だ現役で活躍されていて本当にすごいと思いますよ。スタイリストの先輩たちだと山本康一郎さん、大久保篤志さん、北村勝彦さん、北村道子さん、堀越絹衣さん、近田まりこさん、山本ちえさん、たくさんいらっしゃいますよね。

ー下の世代からは野口さんは優しいと評判を聞きます。

普通ですよ。優しくなったんだよ、歳をとって。30代だったら厄介だったと思うよ。それなりに。

ー「大御所」や「カリスマ」と呼ばれることが多いかと思いますが……。

全然、嬉しくない。大御所でもない。ただ歳をとってるだけだし。全然、カリスマでもない。

ースタイリストの喜びって何ですか?

撮影が終わったときかな。自分たちが作ろうとしたものが形になったとき。それがイメージとより近く出来上がったときだよね。でも、本が出来上がるともっとこうした方が良かったなの繰り返しなんだよね。本が出来上がって完璧じゃんって思えるようになってたら辞めてたよね。日々、反省ですよ。

ーやっぱり雑誌を続けたいですか?

そう思うよ。特に今、元気ないからね。残さなきゃいけないものを作るべきだと思う。何十年後に古本屋で少し高くなったり集めたりする人がいるようなものを、作らなきゃいけない、と思っています。その一端は担っていきたいですね。

野口強
スタイリスト。ファッション誌や広告を中心に活動。デニムブランド〈マインデニム〉のディレクションも手掛けている。

もっとやれる

野口強 #スタイリスト

「満足しない」その尽きることない欲望の果てに

ー本日は endura にご協力いただき感謝しております!

断る理由もないし、自分が喋ることで少しでも役に立つことがあるなら協力しますよ。

ー中学生の頃からディスコでバイトしていたそうですが、何故ですか?

その頃は色々、コネ使ったり歳を誤魔化しながら働いてましたね。人や働くことに興味があったんだよね。ディスコに限らず、ギャラのいい仕事は高校を卒業するまでに大概やりました。働くと色々な人に出会うじゃない? 同世代の友達もいたけど、やっぱり年上の人の方が面白くてね。昔の大阪は濃い人が多かったからね。

ースタイリストという職業を知るきっかけは?

「POPEYE」ですね。「POPEYE」は遊びにしてもファッションにしても教科書的な感じでした。昔って雑誌に教わることがすごく多かった。雑誌の作り手、編集者の熱量が出てたと思います。
「POPEYE」は遊び人、「CHECKMATE」「Hot-Dog PRESS」は童貞っぽいイメージ。今の編集者は真面目。キャラの濃い人は少ないかな。

ー高校卒業後は NY に行かれたそうですね。

友達が NYU(ニューヨーク大学)に行っていて、遊びに行ったんだよね。当時の NY はパーティー文化があって、そこに潜り込んでは、アンディ・ウォーホールやグレイス・ジョーンズ見たり、トスカーニに写真撮られたり。グレイス・ジョーンズが小さかったことに驚いたな。みんな着てる服も飲み方もすごい。完全にお上りさんだよね。見たことある人いるなー! みたいなね。
その経験が今、何かに反映されてるかはわかんないけど、面白い時に行けてよかった。いい意味で緊張感もあったしね。今じゃ考えられないもんね。

ーモデル時代の印象的なエピソードはありますか?

80年代、 TOKIO KUMAGAI のルックブックの撮影でパリに行って、ピーター・リンドバーグに撮られたこと。ピンナップスタジオで。その時のヘアはジュリアン、メイクはステファン・マレー。ジュリアンにプロゴルファー猿みたいな髪型にされたな……。リンドバーグはすごいいい人だったのを覚えてる。

ー大久保篤志さんのアシスタントについた経緯を教えてください。

大阪でスタイリストのアシスタントをしながら「花椿」のモデルをしていて、その撮影で1〜2ヶ月に数回、東京に通っていたんです。東京に行ったら飲みに行くじゃない? 大久保篤志さんとは夜の遊び場で知り合ったんですよね。
当時、NY に行こうかどうか迷っていたんですが、アシスタントやらないかと声かけてもらって……目先の金に目が眩んだよね(笑)。あのとき NY 行っていればな〜、また違ったと思うんだよな〜、とか思ったりもしたけど(笑)、良いタイミングだったんだと思います。

ーアシスタント時代の同期には馬場(馬場圭介)さんもいらっしゃいましたよね。

馬場さんとは2年近く一緒に働いていました。まあ〜大変でしたよ、書けないことはたくさんある(笑)。
その時期、祐真(祐真朋樹)さんとも仕事したことありますよ。「POPEYE」のスーツ特集の撮影。スーツのVゾーンだけでも100カットくらいあって……馬場さん、祐真さんとすっごく大変な思いをした撮影なので、よく覚えてますね。

ー今もご活躍のスタイリストの方々が雑誌などに登場する時期だったんですね。

スタイリストという職業がもてはやされていたタイミングだったんだよね。
今だったら普通にあるけど、昔はスタイリストの一週間コーディネートとか考えられなかった。今は全然、人気ないと思うよ。アシスタントになりたいって人も圧倒的に少ないし。今の人たちはファッションの優先順位は低いでしょ。お金は他のことに使う。ファッションは二の次じゃない? けど、自分たちの若い頃はまず最初に洋服だった。お金ないけど、借金してでも服を買う人間がいっぱいいたんだよね。

ー25歳で独立されたんですよね? 最初はどんな仕事をされていましたか?

最初はマガジンハウスによくお世話になりました。
マガジンハウスに行けばご飯も食べられるし、帰りはタクシーチケットがもらえる。お金には困らなかった。遊びに行くところはタダで飲ませてもらえるしお金を使うことがなかった。お金なくても楽しかったもんね。

ータレントワークと雑誌ワークはどちらが好きですか?

タレントワークは本人ありきなので自分の考えを押し付けることはしません。雑誌ではもう少し自由に提案できるけど、エゴな表現はアウト、それは作品撮りでやるべきもの。雑誌の枠の中で提案しないといけない。何でもかんでも許されるってわけじゃない。

ーでは、クライアントワークについてのお考えは?

若い時は、「商品が赤だから洋服も赤」ってなんでだよ! ダセーなっ! て露骨に顔に出すくらいだった。めんどくさいスタイリストだと思われてたんだろうな。
今でもそれが決して良いとは思わないけど、大人になったのかな?(笑)。それも良いですけどもう少し違う考え方もありますよね? みたいなキャッチボールをできるようになってきた。それでもここ5年くらいじゃないかな? いっときは広告はやらなくても良いと思ってた、本当に。

ー両立はやはり難しいのでしょうか?

一時期、広告や芸能の仕事が多い時期があったんですが、このままじゃマズイな……、真面目に雑誌やった方がいいなって思ったんです。
自分がそういう状況の時も祐真さんは雑誌メインにやっていたのを見て、すごいなって思ってました。パリコレも、祐真さんが自分より5、6年先に行っているのを見ていて、一緒に行くようになったんだよね。その辺から、スタイリストになったんだからファッションやんないと……って考えが出てきた。広告やタレントさんをやればお金にはなるけど、バランスがおかしくなってくるんだよね。どっちかに偏りすぎる。ファッションに偏る分には良いと思うんだ。そういう意味では、祐真さんはずっと前からバランスが良かったですよね。

ー野口さんは写真コレクターでも有名ですよね。最初に買った作品は?

ブルース・ウェバーです。90年代の頭なのかな?

ー高い買い物だな、という感覚は……?

高いっしょ! 50万ぐらいしたもん。2枚で100万だよ!? まじかよ! みたいなね。その値段も、今じゃ考えられないけど。ブルース・ウェバーは基本、写真集の方がいいし、一枚の写真より一冊で見る方が好きなんだけど、それでも一枚の写真を買いたいと思って。知人にセットアップしてもらって、リオデジャネイロの中の2枚を買いました。痺れたよね。

ーデジタル写真を買ったことはありますか?

ないです。

ー他のアートは買いますか?

写真だけですね。絵とか勧められるんだけど難しくて。

ー買うにあたってのこだわりは?

写真集はなるべくファーストエディションが欲しい……それやり出したらきりがないけどね。

ー他にはどんな作品をお持ちですか?

アーヴィング・ペンやラリー・クラークは頑張って買いましたね。ラリー・クラークの作品は70年か80年代に100部作ったタルサの15枚セットを譲ってもらいました。本人が日本に来た時見せたら、「いいの持ってるな!」と言われてサインしてもらいました。

ーラリー・クラーク氏とはその後、どのようにつながっていったのでしょうか?

「Huge」の撮影でダメ元で頼んでみたらOKもらったんです。そこから何回か仕事をお願いしました。
日本に来た時は自分の事務所を作業場として使ってもらいました。あの人はとにかく寝ない。エディティングも本人が納得するまでやる。写真のコピーとって何パターンも並びを試行錯誤……他にも結構色々やらされましたよ(笑)。その代わり、自分たちがこういうことやりたいって言ったら、すごく協力してくれる。

ーワコマリアの写真集も作りましたよね。

きつかったよ(笑)。LA のメキシカンの家に張り付いて……。今は、そういうことをやろうとする人が少ないのが残念だよね。

ー若いカメラマンと組む際はどんな印象がありますか?

少し前、若手が次々出てきた時は、「おっ!」って思ったけど、今の子たちはみんなふわっとしたロケ写真ばっかりで……。狙っているところが一緒なのか、みんな写真が似てる。流行りなのかな? それはそれでいいんだけど、スタジオに連れて行ったらライティングが出来ない人がいたり……。得意なことばかりやるのもいいけど、ロケもスタジオも両方しっかりできた方が長く業界に居続けられる気がします。

ースタイリストになれる条件みたいなものはありますか?

基礎さえできれば良いと思うんだ。あとは自分の感性。
カメラマンはすごいと思うよ。前に米ちゃん(米原康正さん)の仕事で、写真家じゃない人たちに写真を撮らせる企画があって、参加したことがあったんです。モデルは AV 女優、お題はセクシーな写真。それぞれが12ページぐらいあって、まあ大変だった。
考えることがたくさんある。モデルにあれこれ指示したり、自分の欲求が多すぎて全然シャッターが切れなくなった。その時、カメラはやるもんじゃないなって。俺は後ろからやんや言った方が向いてるな、ディレクション側に回った方がいいなって思ったんだよね。

ーディレクション号もやられてますもね。本当に全部やってるんですか?

やってますよ!丸ごと一冊の時はブツ撮りから全部。きついけど(笑)。20ページがちょうどいいかな? 一冊全部集中は厳しい。どっか散漫になる。そうならないように心掛けるんだけど、気を抜いてしまう瞬間も出る。それでも、編集者とのキャッチボールをやりながら進めていきますよ。さっきも言いましたけど、エゴでは意味がない。編集者の意見も取り入れながら作り上げないとダメです。

ーStie-loのプリントTシャツにはこだわりを感じます。

基本的には自分が好きな人たちにお願いしています。写真のプリントをTシャツにするのは本当に大変です。白ボディは良いんだけど黒ボディに忠実に色を出すのが大変。エディ・スリマンのやつはものすごく大変でした。何遍もやり直して。時期にもよるし、インクにもよるから色々な印刷会社さんにお願いしながらやってますよ。モノクロの写真を選ぶことが多いから黒を出すのが難しい。写真のプリントと一緒です。

ースタイリスト界のアシスタントの労働環境などについてはどのようにお考えですか?

自分はひどい扱いはされてこなかったし、させてないつもり。でも今でもお金払わないとか、度を過ぎるくらいの時間拘束して働かせるみたいな話は入ってくる。
そんな話を聞くと悪い評判が出て業界全体のイメージが悪くなるよね。家賃も払えないような給料でアシスタントさせるのはよくないですよ。そんな業界だったらスタイリストになりたい人はいないよね。せめて最低ラインは保証してあげてほしいし、無理なら雇わなきゃいい。

ー業界の先輩たちとは一緒に仕事なさってますよね。

写真の業界だと荒木さん、森山さん、操上さん、篠山さんは未だ現役で活躍されていて本当にすごいと思いますよ。スタイリストの先輩たちだと山本康一郎さん、大久保篤志さん、北村勝彦さん、北村道子さん、堀越絹衣さん、近田まりこさん、山本ちえさん、たくさんいらっしゃいますよね。

ー下の世代からは野口さんは優しいと評判を聞きます。

普通ですよ。優しくなったんだよ、歳をとって。30代だったら厄介だったと思うよ。それなりに。

ー「大御所」や「カリスマ」と呼ばれることが多いかと思いますが……。

全然、嬉しくない。大御所でもない。ただ歳をとってるだけだし。全然、カリスマでもない。

ースタイリストの喜びって何ですか?

撮影が終わったときかな。自分たちが作ろうとしたものが形になったとき。それがイメージとより近く出来上がったときだよね。でも、本が出来上がるともっとこうした方が良かったなの繰り返しなんだよね。本が出来上がって完璧じゃんって思えるようになってたら辞めてたよね。日々、反省ですよ。

ーやっぱり雑誌を続けたいですか?

そう思うよ。特に今、元気ないからね。残さなきゃいけないものを作るべきだと思う。何十年後に古本屋で少し高くなったり集めたりする人がいるようなものを、作らなきゃいけない、と思っています。その一端は担っていきたいですね。

野口強
スタイリスト。ファッション誌や広告を中心に活動。デニムブランド〈マインデニム〉のディレクションも手掛けている。