0まで引き上げる役割

小倉快子 #本屋

「A small piece」 Yasuko Ogura(2016年 @BOOKS f3)
新潟の風景を 35mm カラーフィルムで撮影した作品。
この展示を機に、撮ることではなく提示することも写真の力であると信じ続けてきた。
その作者である彼女が「なくていいもの」と言い切る裏には、「あるべきもの」の意味が込められている。
自分が信じているものを理解されない葛藤は、やり続けている人間の特権である。
写真に取り憑かれた愚者の道は明るいはずだ。
そう信じる人がいて、僕は安心して撮り続けることができる。

ー写真に興味をもった経緯を教えてください。

中学生のとき家族旅行で「写ルンです」を持っていて、余った数枚を自分で自由に撮ったのが楽しいと思ったからです。

ー本格的に大学で写真を勉強したいと思ったきっかけは何ですか?

高校で写真部に入って、単純に撮っている時が楽しいなと思っていました。これをもうちょっとやりたいなというのがあって。調べたら写真を勉強できるところがあるとわかったので日芸(日本大学芸術学部)に進学しました。

ー上京して感じたことはありますか?

新潟はつまらない、新潟から出たいと思っていました。新潟の人は閉鎖的というか思っていることを言わない感じの人が多い。けど日芸に進学したらというか東京へ出たら、周りの人たちが好きなことしていたんです。それが本当に楽ですごく心地よかったんです。大学というか東京に出てって感じですけど。

ー大学卒業後は最初から本屋さんになるつもりだったんですか?

いえ、最初の職はカメラマンです。まずは会社に入って「社会」というものを知りたくて就職しました。でも2年目くらいに辞めたくなって(笑)。そのタイミングで「写真集っておもしろいな」と思うきっかけと「島の写真を撮りたいな」っていうことが同時並行に起こって。それで次も決めずに会社を辞めました。

ー「写真集っておもしろいな」と思うきっかけは?

友だちの結婚祝いで写真集を贈ろうと思い、代々木八幡の SO BOOKS に行きました。相談したらすごく親切に色々出してくれて、私が思っていなかった写真集を選んでくれました。その時はジョエル・マイヤーウィッツの『A Summer’s Day』っていう写真集でした。私はお花とかわかりやすいものを考えていたんだけど、その写真集は、もうちょっと後の家族の夏休みを想像させる感じがして、未来への願いを本を通して伝えている感じがとても良かったんです。その出来事が印象的で、「わ!こんな仕事がしたい!」と思いました。

ー「島の写真を撮りたいな」というのは?

『BRUTUS』に「たとえば、いま、あなたが都会を離れて島で暮らすとしたら。」という号があったんです。疲れていたんでしょうね(笑)。その中で香川県にある男木島のおばあちゃんがすごい笑顔でこっちに笑いかける1ページを見て「私はこのおばあちゃんに会いたい」と思って、それで行ってみたんです。雑誌に載っていた写真はとても明るい感じでしたが、実際は本当に人がいなくて。島としての日常なんだけど、きっとこの島は衰退していくんだろうなぁと感じ、それを撮りたいなと思ったのがきっかけです。ちなみに、今は移住者も増えてにぎやかになっているみたいですよ。

ー1枚の写真と本屋での出会いが小倉さんを突き動かしたんですね。

タイミングが良かったんでしょうね。仕事を辞めて、次どうしようと考えるうちに、本屋を自分でやってみようかなと。やるなら東京より男木島の写真も撮れる香川県でやろうと移住しました。だけど、縁もゆかりもなさ過ぎて……とりあえず街を知ろう、働かなきゃと思って。瀬戸内国際芸術祭の男木島にある作品を管理するNPOに運よく入り、10ヶ月くらい男木島に通いました。

ー男木島はどんな島でしたか?

時間の流れみたいなのが、自分の知っているそれとは違って。島の人もすごく優しいんですよ。全体がおばあちゃん家みたいな雰囲気。それが心地よかったです。あと日本海で育っているから、瀬戸内の景色はおだやかで見ていて全然飽きないというか。眺めていたいなと思いました。

ーその後は?

NPOの仕事が終わったら本屋を自分でやろうと思い場所を探していたんです。そこで古道具のお店をやっている人と出会い、「ここでやれば?」って声をかけてもらって。その場所で本屋さんをやり始めました。写真集を置きつつ、そこで企画展もやりつつ、現場に出て見よう見まねでやりながら学んでいった感じです。2年くらいですかね。

ーそこで新潟に目が向く気づきはあったんですか?

岡本仁さんの『ぼくの香川案内』という本を少しお手伝いさせてもらう機会がありました。その本では、普段自分たちが行くような香川の場所を「こういう場所いいよね」と紹介してくれていて。それが嬉しくて。「ここに移住して良かった」と言ってもらえたような気がしました。そしたら、「自分は新潟でこんな風に案内はできない」と思ったんです。そこから新潟が気になりはじめました。新潟はおもしろくないと思って出たけど、こうやって東京や違う地方に行ったら、自分の価値観やおもしろいと思うものの種類が変わっていきました。きっと新潟にもこういう所がいっぱいあるのに、自分が気づけていなかっただけだなと思って。帰省のタイミングで親に「昔から知っている喫茶店とかないの?」と聞いて行ってみたり。新潟の街ってこうなっているんだとだんだんわかってきて、おもしろいかもと徐々に新潟に意識が向きました。

ー本格的に新潟で本屋を始めるときに苦労したことは何ですか?

まずはいろんな人に会いに行きました。10年くらい新潟にいなかったから、その間、街がどういう動きをしていたか、中心はどこにあるか知りたくて。あとは物件探しですね。街をブラブラして、空いている物件があれば連絡して不動産屋さんに行ってをくり返していたけど、なかなか自分が理想とする場所に出会えなくて。途方に暮れていたときに縁あって、今の場所に出会えました。元々知っていた古道具屋さんにつなげてもらったんです。私が借りるまで10年空いていたのに、大家さんがちゃんと空気の入れ替えをしてくれていて、じめっとした感じがなく、大切にされていた場所なんだなっていうのがわかって、「ここがいいです!」と手を挙げました。

ー準備はいかがでしたか?

物件が決まってからはすごく研ぎ澄まされていました。人生で一番集中していたかも(笑)。物件は8月末に決めて、工事が始まったのは11月初め、でも年内にオープンさせたくて。じゃないと本格的な冬になっちゃうので。正味1カ月半くらいでグッとやったから、その時は大変というよりは「やるぞ~!」という気持ちが勝っていました。

ー本屋+展示という今のスタイルは最初から考えていたんですか?

私自身、つまらないと思って新潟を出てきているのですが、「ここがあって良かったよね」「なんか刺激をもらえたよね」みたいな場所にしたくて。写真展とか、美術館に行くことも、この街ではハードルがまだまだ高い。結果、自分たちと関係ないものになる、という流れをどこかで街自体が容認している気がして。それはすごく勿体無いと思っていたし、結局「そういうのは東京とか大阪でしょ」って諦めているのがベースにあると思っていて。大人になれば移動できるけど、それができない若い人が知らずに諦めちゃうのはもどかしくて。だったら私がちゃんとしたものをここで見せるから、それを見て、いろんなものがあるってことを知って、視野を広げてほしくて、だから展示をやりたかったんです。

ーこけら落としは、快子さんだったんですよね?

そうです。誰をこけら落としにしようと思った時に「自分でやる?」と思ってやりました。それ以降、作品制作はしていなくて。今まで撮っていたものを一度そこで展示して、あとは裏方に回る。区切りをつけるためにも、やって良かったなと思っています。

ーBOOKS f3で展示する基準は何かありますか?

やっぱり基本は自分が見たいな、やりたいなという人にお願いしています。あとはタイミングです。最近は巡回展とかもほとんどしなくなりましたね。うちのような本屋という空間をたのしんでくれる人とやるのが面白いです。その中に、年に1本くらいは新潟に関わることや人の展示を入れています。

ー展示ってどうですか?

忙しい、けど楽しいです!冬は本当に人が来なくなるんですよ、雪とか降っちゃうと。だから当初は1月〜3月は基本展示を入れないようにして、その期間にその年のことを考えるようにしていました。けど結局なぜか冬の期間も展示してる(笑)。その方が気持ちがシャキっとするのでやっていたいんですよね。

ー展示は写真関係だけで通しているのはなぜでしょうか?

自分自身写真が好きだし、写真集をメインに、写真という切り口に限定して、その中で幅の広さを見せたいと思っています。イラストなどへもう少し範囲を広げる?と思ったこともあるし、未だに考えるけれども、そこをゆるめると何かが崩れちゃう気がして。なので、やっぱり写真でいくと思います。

ーZINE を積極的に扱っています。ここに置く基準はありますか?

うちを選んで持ってきてくれた人、熱量のある人の ZINE は、極力置きたいなと思っています。でも、お金を出してお客さんに買ってもらうには不足かもというものや、単純にうちのテイストに合わないものはお断りすることもあります。

ー写真集のセレクトも、「f3 らしさ」を一番に考えますか?

まずは私が見たいなと思うものですね。自己中なので。だからお客さんが欲しいものと合致しないこともあって、「めちゃくちゃいい本なのにな~」みたいなことも結構あります。そのバランスが難しいけど、自分が見たいもの、が最初にありますね。でも逆にお客さんから教えてもらって入れることもあるので、持ちつ持たれつというか、そんな関係がうちらしい感じがします。

ーf3 の、この場所での役割はどんなことだと思いますか?

例えば、本の楽しみ方や本屋の使い方を知ってもらう場所として機能させたいですね。元々そういうことはもう知っていると思ってやっていたんです。けどそうじゃなかった。本屋さんを知らない、個人店に行ったことがない、写真集を見たことがないし、買ったことがない、そういう人が圧倒的多数だということに店をはじめてやっと気が付いたんです。本に興味がなさそうな人が、突然集中して見はじめるタイミングがあって、その時は買わなくても、そういう本との出合いは経験として残っていてねと思います。うちは地方の本屋さんだから、まだ1までいかないところのベースをつくる役割があるんじゃないかなと思うんです。耕されていない土壌を0までまずは持っていくという感じですかね。それはすごく途方もなくてしんどいんだけど、今やっていかないとこの街全体の裾野も広がらないし、文化的なものが終わっていくんじゃないかと勝手に危惧しているんです。「初めて買う写真集です」と言ってもらえるとすごく嬉しい。そういう人を一人でも多く増やしたいです。この役割を微力ながら担えたらとは思っています。

ーホームページなどで「なくてもいい存在」と言いきっています。何故ですか?

先ほども言いましたが、新潟にいると、圧倒的に「要らない」と思っている層がマジョリティーなんです。東京は、本屋やギャラリー、美術館があることが前提で、それってすごく恵まれていると思うんです。ここは「どこの美術館に行こうかな」という選択肢はなくて、この美術館しかない。それを見るか見ないかのふたつしか選択肢がないんです。そこで「見ない」という選択をしたら、その芸術に触れる機会は失われてしまう。なくて育っていけちゃうわけです。しかもいざここでお店をはじめてみると、例えばイオンで事足りるんですよ。大きい駐車場があって、家族全員で楽しめる場所があって不自由しない。その人たちに「こういう豊かなものもあるよ」って提示していくのは、すごく果てしない。本当に本当にうちが眼中にないんです、みなさん。見えてないの(笑)。何度もめげてます。だけど「なくっちゃ困る」って人たちも確実にいるから、一人ずつそういう人を増やしていくしかないですよね。

ー写真界隈で有名な方をここでやっていますよね。

そうなんですかね。でも東京で見てきました!とか言われると、竹之内さん(竹之内祐幸)、とか岡上さん(岡上淑子)とか、ここでもやったんだよ! って叫びたくなりますね(笑)。地道にしっかりしたものを提示してきたと思っているんですけど、なかなか伝わらないことも多くて。

ー接客を諦めると言われていますがどういうことですか?

んー、熱量が高いわけですよ、私。周りに、本気でやっている人たちが多かったので。だから趣味で写真を楽しんでいるお客さんも、もっと上にいきたい、もっと本気でやりたいと勝手に思っていたんです。だけどそれは違って。たぶんその人たちは、「すごくいいじゃん」って言ってほしいだけなのに、私が「こうした方がもっと良くなるよ」とか、きつめに言ってしまうから、「え、違う……そういう感じじゃないんですけど……」って離れてしまう。ただ撮るのが楽しい趣味で良かったんですよね。「こんな写真集あるよ」って見せたそばからスマホで調べられたりすると「いや、まず見て、目の前の写真集を!」とか言いたくなってしまう。そういうのが積み重なっていくと、何も言わない方が良いんだなぁと諦めがうまれてきちゃって。お客さんと私とのそういうズレみたいなのを段々感じはじめて。自分が提示しているものを否定されている気になるというか、反応が無さ過ぎて、怖くなっちゃったんです。何にも言えなくなっちゃいました。どんどん気持ちが削がれていった時に、リターンを期待していたんだなと気づいて。それは求めちゃいけないなと。自己防衛の一環として、たぶん諦めたんですよ。悲しいね。でも今も、やる気のある人にはもちろん本を勧めたり、ちょっときびしいことを言ったりもしています。

ー「写真を信じている力」っていうのを、快子さんからすごい感じています。

なんか好きなんですよね。写真は私にとってポジティブなものだから、その力を信じたいんだと思います。だから「最近写真はじめて楽しいです」って人に対して、好きでいてほしくてついつい色々言ってしまうんだけど、それが余計なお世話というのは分かってきました。

ー拡張していく予定は?

それはないです。私は結構、諦めています(笑)。もちろん、お店を続けることでしか見えないことも、すごくたくさんあるとわかっています。けどうちの店もいつかなくなるし、みんな忘れていく。でも見たものや買ったもの、経験したことだけは残るはずだから。考えや表現の幅が広がって、ここがあって良かったなと思ってくれる人がいたら、それだけで十分です。最後は自分のやりたいことをきちんとやって悔い無しって言って終わらせたいですね。

ー戦っていますね。

たまにそう言われるんですけど、私は自覚なくて。でもどうにもならない状況に怒っているのかも。自分にも、この街やこの業界にも。怒りが原動力なのかな。もうすこし穏やかにいたいのにね(笑)。

小倉快子
1987年、新潟生まれ。
日本大学芸術学部写真学科を卒業後
カメラマン、編集などを経て新潟に「BOOKS f3」を立ち上げる。

TEL : 025-288-5375
住所 : 新潟県新潟市中央区沼垂東2-1−17
定休日 : 火・水 ※臨時休業あり
HP : https://booksf3.com/
Instagram : @booksf3
Twitter : @booksf3

0まで引き上げる役割

小倉快子 #本屋

「A small piece」 Yasuko Ogura(2016年 @BOOKS f3)
新潟の風景を 35mm カラーフィルムで撮影した作品。
この展示を機に、撮ることではなく提示することも写真の力であると信じ続けてきた。
その作者である彼女が「なくていいもの」と言い切る裏には、「あるべきもの」の意味が込められている。
自分が信じているものを理解されない葛藤は、やり続けている人間の特権である。
写真に取り憑かれた愚者の道は明るいはずだ。
そう信じる人がいて、僕は安心して撮り続けることができる。

ー写真に興味をもった経緯を教えてください。

中学生のとき家族旅行で「写ルンです」を持っていて、余った数枚を自分で自由に撮ったのが楽しいと思ったからです。

ー本格的に大学で写真を勉強したいと思ったきっかけは何ですか?

高校で写真部に入って、単純に撮っている時が楽しいなと思っていました。これをもうちょっとやりたいなというのがあって。調べたら写真を勉強できるところがあるとわかったので日芸(日本大学芸術学部)に進学しました。

ー上京して感じたことはありますか?

新潟はつまらない、新潟から出たいと思っていました。新潟の人は閉鎖的というか思っていることを言わない感じの人が多い。けど日芸に進学したらというか東京へ出たら、周りの人たちが好きなことしていたんです。それが本当に楽ですごく心地よかったんです。大学というか東京に出てって感じですけど。

ー大学卒業後は最初から本屋さんになるつもりだったんですか?

いえ、最初の職はカメラマンです。まずは会社に入って「社会」というものを知りたくて就職しました。でも2年目くらいに辞めたくなって(笑)。そのタイミングで「写真集っておもしろいな」と思うきっかけと「島の写真を撮りたいな」っていうことが同時並行に起こって。それで次も決めずに会社を辞めました。

ー「写真集っておもしろいな」と思うきっかけは?

友だちの結婚祝いで写真集を贈ろうと思い、代々木八幡の SO BOOKS に行きました。相談したらすごく親切に色々出してくれて、私が思っていなかった写真集を選んでくれました。その時はジョエル・マイヤーウィッツの『A Summer’s Day』っていう写真集でした。私はお花とかわかりやすいものを考えていたんだけど、その写真集は、もうちょっと後の家族の夏休みを想像させる感じがして、未来への願いを本を通して伝えている感じがとても良かったんです。その出来事が印象的で、「わ!こんな仕事がしたい!」と思いました。

ー「島の写真を撮りたいな」というのは?

『BRUTUS』に「たとえば、いま、あなたが都会を離れて島で暮らすとしたら。」という号があったんです。疲れていたんでしょうね(笑)。その中で香川県にある男木島のおばあちゃんがすごい笑顔でこっちに笑いかける1ページを見て「私はこのおばあちゃんに会いたい」と思って、それで行ってみたんです。雑誌に載っていた写真はとても明るい感じでしたが、実際は本当に人がいなくて。島としての日常なんだけど、きっとこの島は衰退していくんだろうなぁと感じ、それを撮りたいなと思ったのがきっかけです。ちなみに、今は移住者も増えてにぎやかになっているみたいですよ。

ー1枚の写真と本屋での出会いが小倉さんを突き動かしたんですね。

タイミングが良かったんでしょうね。仕事を辞めて、次どうしようと考えるうちに、本屋を自分でやってみようかなと。やるなら東京より男木島の写真も撮れる香川県でやろうと移住しました。だけど、縁もゆかりもなさ過ぎて……とりあえず街を知ろう、働かなきゃと思って。瀬戸内国際芸術祭の男木島にある作品を管理するNPOに運よく入り、10ヶ月くらい男木島に通いました。

ー男木島はどんな島でしたか?

時間の流れみたいなのが、自分の知っているそれとは違って。島の人もすごく優しいんですよ。全体がおばあちゃん家みたいな雰囲気。それが心地よかったです。あと日本海で育っているから、瀬戸内の景色はおだやかで見ていて全然飽きないというか。眺めていたいなと思いました。

ーその後は?

NPOの仕事が終わったら本屋を自分でやろうと思い場所を探していたんです。そこで古道具のお店をやっている人と出会い、「ここでやれば?」って声をかけてもらって。その場所で本屋さんをやり始めました。写真集を置きつつ、そこで企画展もやりつつ、現場に出て見よう見まねでやりながら学んでいった感じです。2年くらいですかね。

ーそこで新潟に目が向く気づきはあったんですか?

岡本仁さんの『ぼくの香川案内』という本を少しお手伝いさせてもらう機会がありました。その本では、普段自分たちが行くような香川の場所を「こういう場所いいよね」と紹介してくれていて。それが嬉しくて。「ここに移住して良かった」と言ってもらえたような気がしました。そしたら、「自分は新潟でこんな風に案内はできない」と思ったんです。そこから新潟が気になりはじめました。新潟はおもしろくないと思って出たけど、こうやって東京や違う地方に行ったら、自分の価値観やおもしろいと思うものの種類が変わっていきました。きっと新潟にもこういう所がいっぱいあるのに、自分が気づけていなかっただけだなと思って。帰省のタイミングで親に「昔から知っている喫茶店とかないの?」と聞いて行ってみたり。新潟の街ってこうなっているんだとだんだんわかってきて、おもしろいかもと徐々に新潟に意識が向きました。

ー本格的に新潟で本屋を始めるときに苦労したことは何ですか?

まずはいろんな人に会いに行きました。10年くらい新潟にいなかったから、その間、街がどういう動きをしていたか、中心はどこにあるか知りたくて。あとは物件探しですね。街をブラブラして、空いている物件があれば連絡して不動産屋さんに行ってをくり返していたけど、なかなか自分が理想とする場所に出会えなくて。途方に暮れていたときに縁あって、今の場所に出会えました。元々知っていた古道具屋さんにつなげてもらったんです。私が借りるまで10年空いていたのに、大家さんがちゃんと空気の入れ替えをしてくれていて、じめっとした感じがなく、大切にされていた場所なんだなっていうのがわかって、「ここがいいです!」と手を挙げました。

ー準備はいかがでしたか?

物件が決まってからはすごく研ぎ澄まされていました。人生で一番集中していたかも(笑)。物件は8月末に決めて、工事が始まったのは11月初め、でも年内にオープンさせたくて。じゃないと本格的な冬になっちゃうので。正味1カ月半くらいでグッとやったから、その時は大変というよりは「やるぞ~!」という気持ちが勝っていました。

ー本屋+展示という今のスタイルは最初から考えていたんですか?

私自身、つまらないと思って新潟を出てきているのですが、「ここがあって良かったよね」「なんか刺激をもらえたよね」みたいな場所にしたくて。写真展とか、美術館に行くことも、この街ではハードルがまだまだ高い。結果、自分たちと関係ないものになる、という流れをどこかで街自体が容認している気がして。それはすごく勿体無いと思っていたし、結局「そういうのは東京とか大阪でしょ」って諦めているのがベースにあると思っていて。大人になれば移動できるけど、それができない若い人が知らずに諦めちゃうのはもどかしくて。だったら私がちゃんとしたものをここで見せるから、それを見て、いろんなものがあるってことを知って、視野を広げてほしくて、だから展示をやりたかったんです。

ーこけら落としは、快子さんだったんですよね?

そうです。誰をこけら落としにしようと思った時に「自分でやる?」と思ってやりました。それ以降、作品制作はしていなくて。今まで撮っていたものを一度そこで展示して、あとは裏方に回る。区切りをつけるためにも、やって良かったなと思っています。

ーBOOKS f3で展示する基準は何かありますか?

やっぱり基本は自分が見たいな、やりたいなという人にお願いしています。あとはタイミングです。最近は巡回展とかもほとんどしなくなりましたね。うちのような本屋という空間をたのしんでくれる人とやるのが面白いです。その中に、年に1本くらいは新潟に関わることや人の展示を入れています。

ー展示ってどうですか?

忙しい、けど楽しいです!冬は本当に人が来なくなるんですよ、雪とか降っちゃうと。だから当初は1月〜3月は基本展示を入れないようにして、その期間にその年のことを考えるようにしていました。けど結局なぜか冬の期間も展示してる(笑)。その方が気持ちがシャキっとするのでやっていたいんですよね。

ー展示は写真関係だけで通しているのはなぜでしょうか?

自分自身写真が好きだし、写真集をメインに、写真という切り口に限定して、その中で幅の広さを見せたいと思っています。イラストなどへもう少し範囲を広げる?と思ったこともあるし、未だに考えるけれども、そこをゆるめると何かが崩れちゃう気がして。なので、やっぱり写真でいくと思います。

ーZINE を積極的に扱っています。ここに置く基準はありますか?

うちを選んで持ってきてくれた人、熱量のある人の ZINE は、極力置きたいなと思っています。でも、お金を出してお客さんに買ってもらうには不足かもというものや、単純にうちのテイストに合わないものはお断りすることもあります。

ー写真集のセレクトも、「f3 らしさ」を一番に考えますか?

まずは私が見たいなと思うものですね。自己中なので。だからお客さんが欲しいものと合致しないこともあって、「めちゃくちゃいい本なのにな~」みたいなことも結構あります。そのバランスが難しいけど、自分が見たいもの、が最初にありますね。でも逆にお客さんから教えてもらって入れることもあるので、持ちつ持たれつというか、そんな関係がうちらしい感じがします。

ーf3 の、この場所での役割はどんなことだと思いますか?

例えば、本の楽しみ方や本屋の使い方を知ってもらう場所として機能させたいですね。元々そういうことはもう知っていると思ってやっていたんです。けどそうじゃなかった。本屋さんを知らない、個人店に行ったことがない、写真集を見たことがないし、買ったことがない、そういう人が圧倒的多数だということに店をはじめてやっと気が付いたんです。本に興味がなさそうな人が、突然集中して見はじめるタイミングがあって、その時は買わなくても、そういう本との出合いは経験として残っていてねと思います。うちは地方の本屋さんだから、まだ1までいかないところのベースをつくる役割があるんじゃないかなと思うんです。耕されていない土壌を0までまずは持っていくという感じですかね。それはすごく途方もなくてしんどいんだけど、今やっていかないとこの街全体の裾野も広がらないし、文化的なものが終わっていくんじゃないかと勝手に危惧しているんです。「初めて買う写真集です」と言ってもらえるとすごく嬉しい。そういう人を一人でも多く増やしたいです。この役割を微力ながら担えたらとは思っています。

ーホームページなどで「なくてもいい存在」と言いきっています。何故ですか?

先ほども言いましたが、新潟にいると、圧倒的に「要らない」と思っている層がマジョリティーなんです。東京は、本屋やギャラリー、美術館があることが前提で、それってすごく恵まれていると思うんです。ここは「どこの美術館に行こうかな」という選択肢はなくて、この美術館しかない。それを見るか見ないかのふたつしか選択肢がないんです。そこで「見ない」という選択をしたら、その芸術に触れる機会は失われてしまう。なくて育っていけちゃうわけです。しかもいざここでお店をはじめてみると、例えばイオンで事足りるんですよ。大きい駐車場があって、家族全員で楽しめる場所があって不自由しない。その人たちに「こういう豊かなものもあるよ」って提示していくのは、すごく果てしない。本当に本当にうちが眼中にないんです、みなさん。見えてないの(笑)。何度もめげてます。だけど「なくっちゃ困る」って人たちも確実にいるから、一人ずつそういう人を増やしていくしかないですよね。

ー写真界隈で有名な方をここでやっていますよね。

そうなんですかね。でも東京で見てきました!とか言われると、竹之内さん(竹之内祐幸)、とか岡上さん(岡上淑子)とか、ここでもやったんだよ! って叫びたくなりますね(笑)。地道にしっかりしたものを提示してきたと思っているんですけど、なかなか伝わらないことも多くて。

ー接客を諦めると言われていますがどういうことですか?

んー、熱量が高いわけですよ、私。周りに、本気でやっている人たちが多かったので。だから趣味で写真を楽しんでいるお客さんも、もっと上にいきたい、もっと本気でやりたいと勝手に思っていたんです。だけどそれは違って。たぶんその人たちは、「すごくいいじゃん」って言ってほしいだけなのに、私が「こうした方がもっと良くなるよ」とか、きつめに言ってしまうから、「え、違う……そういう感じじゃないんですけど……」って離れてしまう。ただ撮るのが楽しい趣味で良かったんですよね。「こんな写真集あるよ」って見せたそばからスマホで調べられたりすると「いや、まず見て、目の前の写真集を!」とか言いたくなってしまう。そういうのが積み重なっていくと、何も言わない方が良いんだなぁと諦めがうまれてきちゃって。お客さんと私とのそういうズレみたいなのを段々感じはじめて。自分が提示しているものを否定されている気になるというか、反応が無さ過ぎて、怖くなっちゃったんです。何にも言えなくなっちゃいました。どんどん気持ちが削がれていった時に、リターンを期待していたんだなと気づいて。それは求めちゃいけないなと。自己防衛の一環として、たぶん諦めたんですよ。悲しいね。でも今も、やる気のある人にはもちろん本を勧めたり、ちょっときびしいことを言ったりもしています。

ー「写真を信じている力」っていうのを、快子さんからすごい感じています。

なんか好きなんですよね。写真は私にとってポジティブなものだから、その力を信じたいんだと思います。だから「最近写真はじめて楽しいです」って人に対して、好きでいてほしくてついつい色々言ってしまうんだけど、それが余計なお世話というのは分かってきました。

ー拡張していく予定は?

それはないです。私は結構、諦めています(笑)。もちろん、お店を続けることでしか見えないことも、すごくたくさんあるとわかっています。けどうちの店もいつかなくなるし、みんな忘れていく。でも見たものや買ったもの、経験したことだけは残るはずだから。考えや表現の幅が広がって、ここがあって良かったなと思ってくれる人がいたら、それだけで十分です。最後は自分のやりたいことをきちんとやって悔い無しって言って終わらせたいですね。

ー戦っていますね。

たまにそう言われるんですけど、私は自覚なくて。でもどうにもならない状況に怒っているのかも。自分にも、この街やこの業界にも。怒りが原動力なのかな。もうすこし穏やかにいたいのにね(笑)。

小倉快子
1987年、新潟生まれ。
日本大学芸術学部写真学科を卒業後
カメラマン、編集などを経て新潟に「BOOKS f3」を立ち上げる。

TEL : 025-288-5375
住所 : 新潟県新潟市中央区沼垂東2-1−17
定休日 : 火・水 ※臨時休業あり
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