一般の人でもギャグは楽しめる。

大北栄人 #ライター

「ギャグ」は誰のものか。
「ギャグ」は芸人達だけのものと決めつけていた。
そんな価値観は変わる。
「明日のアー」を観た、何かの匂いを嗅ぎ付けて。
誰かで笑うことが全てではなく
誰にでも誰かを笑わせることができる。
大北さんは言う。
「一般の人でもギャグは楽しめる。」
大北さんの提案する、そんな日常に身を任せても良い、そんな気がした。

大北さんは大学まで大阪ですごされたとのことですが、その頃は何をされていたんでか?

人間科学部で人類学を専攻していました。勉強していなかったですけどね。
大学では音楽サークルでコピーバンドをしていました。みんなで楽しくみたいなノリでやっていたんですけど、俺のやりたいことはこれじゃないんだけどな〜って思いながらズルズルやっていました。
ちゃんとおもしろいことをやりたいんだけどなって。
けど、大阪では全然糸口がなかったですね。何をしたら良いのかわからなかった。

お笑いを意識したのはいつくらいからですか?

子どもの頃から WOWOW でシティボーイズなどのお笑いを見ていました。今考えると当時 WOWOW に入っている文化的アドバンテージはあったと思います。昔はインターネットがないから、テレビの影響はすごく大きかった。
シティボーイズが好きだったので、大学の時、京都精華大学に三木聡さんの講演を聴きに行ったんです。
そこで「辛い(からい)ギャグ」というものがあると言ってらしたんですよね。『無能の人』ってつげ義春の漫画があるんです。『無能の人』って僕は味わいみたいなもので読むんだと思っていたんですが、三木聡さんは「あれはギャグだ」みたいなことを言ってたんですよ。「虚無僧って儲かるのかな」ってセリフがあるんですが、三木聡さんは「子どもじゃわからない、大人だけが好きな辛い(からい)ギャグだ」って言ってて。僕、あ〜なるほどなって思ったんです。全然知らなかった。そんな世界あるのか、この世界知りたい、ギャグの世界知りたいなって思いましたね。
でも、それは普通に生活してても巡り合ったことだったかもしれない。「辛い(からい)ギャグ」は「おもしろがりかた」なので。そういう高度に発展したおもしろがりかたする人いますよね。

その後はどういった経緯で東京に出てきたんですか?

放送作家事務所がセミナーをしていて、それに応募したら来て良いよってことになったので、そのタイミングで東京に来ましたね。でも虚無僧の話とかしてないし、どう振る舞えばいいのかもわからないですよね。20代は暗黒ですね。何がやりたいかもわからなかった。

デイリーポータルZに記事を書きはじめた経緯は?

大学の時に唯一やっていたおもしろいことは石川大樹くん(現在、デイリーポータルZ 編集)と一緒にやっていたインターネットのサイト作りです。そのサイトは小さい雑誌(ミニコミ)をウェブという形でやっていました。
しばらくウェブサイト作りからは離れていたんですが、やっぱりおもしろかったのはあれだな、もう一回やろうってことになりました。
個人でサイト作ったところで有名でもなんでもないので誰も見てくれない。そこで、当時デイリーポータルZにあった「コネタ道場」っていう投稿コーナーに応募することにしました。採用されれば サイト閲覧数が増えるので。それがきっかけですね。気がつかなかったんですが、投稿コーナーは新人を発掘するためにもあるんですよね。みんなもバカにせず応募した方がいいと思います。「コネタ道場」で実績がたまったので、そのままズルズルっとデイリーポータルサイトにお世話になりました。

最初から今まで記事への熱量は衰えてないですか?

「あ、これかも」「これでいいかも」と見えかけたのがやっぱり書きはじめなので、そっからの熱量はやっぱり高いですよね、めちゃめちゃ。ずっと高いんじゃないですかね。20代の頃は暗黒だったので……26歳くらいで見えかけた時はありがたかったですよね。
「おもしろいものを発表したい」というよりも、「おもしろい場所にいたい」の方が強かったんでしょうね。
デイリーポータルZの林さんはひとつの天才で、やっぱり物の見方がめちゃくちゃおもしろいわけです。「辛い(からい)ギャグ」と同じようにおもしろい。大人のおもしろがり方みたいなことをやっている。
林さんは「うんこより大事な用事はない」って言っててまさにそうだなって思ってます(笑)。林さんおもしれえなって。見方がおもしろい人に会える。それはありがたかったですよね。デイリーポータルの集まりに初めて行ってその後の飲み会に参加して、ここはおもしろい人達がいて幸せだな~、となったのを今でも覚えてます。

自分の転機となる記事ってありますか?

毎回なんですけどね。毎回これはおもしろいなって出すんです。けど、反応が来ないな〜の連続ですよね。全然評価されない。ずっと世間との乖離と戦ってる印象です。自分がおもしろいと思うものが世間とは離れていて、そこをどうやって擦り合わせていくのかを考え続けています。

2015年に明日のアーを立ち上げますが、きっかけは何だったんですか?

ずっとコントは書きたいと思っていたんです。シティボーイズが好きだったのでギャグの表現方法としてコントってのはいつかやってみたいと思っていました。トチアキタイヨウさんと松村翔子さんと知り合って、それまで身の周りには舞台上で何かをできる人がいなかったので、俳優さん2人いたらできるなって思ったのもあります。

明日のアーは普段は俳優以外の仕事をしている人たち、いわゆる素人さんも含めて舞台を作っていますが、それはなぜですか?

ママさんバレーみたいな集団でありたいんです。
一般の人でもギャグは楽しめる。少し練習したら人前で何か言って笑ってもらえる。それは結構楽しいことなんだよって知ってもらえればいいなと思うんです。でも葛藤はあります。俳優さんはうまい。うまい人はうまい人にしかできないことやってますからね。

最初はやってみてどうでしたか?世の中のリアクションは?

うおっ、結構ウケるなって。手ごたえはありました。記事よりダイレクトに反応来ますしね。でも今思うとやっている内容に関しては未熟だなって思いますよね。ガンガン回数重ねていけばいいんでしょうけど、他に仕事のある出演者に年2回は声をかけづらい。今でも回数は悩みどころではあります。

35歳で新しいことを始めた思いを聞かせてください。

その時までの自分のリサーチで、35〜40歳までがギャグにおいて一番おもしろい時期だろうなって考えがあったんです。今は社会全体が後ろに行っている感じがするのでどうかわからないですけどね。35歳の時、もうやばいぞって思って始めたんです。ギリギリですね。

2回目から会場を原宿の VACANT に移します。なぜ VACANT で公演したんですか?

僕は最初 VACANT を知らなかった。プロデューサー的な役割だったトチアキタイヨウさんに紹介してもらいました。トチアキさんには何から何まで教わりましたね。VACANT は芸術寄りの人の認知度が高いですよね。見に来てくれる人が、なんで VACANT でやるの? みたいな感じで興味持ってくれましたね。

大北さんが舞台場の横で笑っているのはファンの間では有名ですが、その時は何を考えているんですか?

ああ(笑)。毎回おもしれ〜って思って見てます。俺が好きなギャグをそのまま舞台に上げているんで、そりゃあ俺が一番おもしろいに決まってるなって思います。よく言われますよ、なんであんな笑ってるんですか? って(笑)。だって、俺の好きなギャグだもんって言うしかないですよね。ギャグは嗜好性がありますよね。私はこれが好きってのがはっきりしてる。ほんとうに自分の好きなものを舞台に上げている感覚です。ほっとくと誰も上げてくれないから(笑)。

人気、動員が上がるのは嬉しいですか?

嬉しいです。もちろん。やっぱり元々が乖離しているところから始まってますから。こんなおもしろいはずなのに何でわかんないの? っていう原体験があるので、それを埋めていくような作業ではありますよね。今でもそこは埋まらないですけどね。乖離したまんまです。

ワークショップを始めたのはなぜですか?

そもそもを正直に言うと自分の訓練のためです。普段は演技に対して俳優さんと携わることがないので。劇団の人は通年でやってますからね。それをワークショップという形で一緒に訓練する人が来れば、コメディについて考えましょうっていう、お題目っちゃあお題目なんですが、けっこうちゃんと考えてるので役立ちます。今年も一年ぶりに稽古して、あのワークショップのあれめっちゃ役立ってるなと思うことがあります。

演出は慣れてきますか?

演出って心理的な要素が大きいような気がします。偉く振舞うことに対しての違和感とか、そもそも演技と演出ってめちゃくちゃ変なことなんですよ。
演技は自分の思っていないことを言うわけですよね。それは人格の放棄ですが、人が書いた言葉・喋った言葉をなぞる。でもね、やってみるとそれが気持ちいいんです。何だこれ!? みたいな状態なんです。誰かの言葉を言う、それが気持ちいいっていう状態はやっぱり支配と被支配にあたるわけだし、演出している以上、上下関係が生まれる。最初はフラットでいこうと思ってるんですけど、これは無理だって気がついていく。かといって怖くしよう支配しようって思っているわけじゃない。なんかこれ変だなって意識はずっとありますね。

演劇と明日のアーの違い

立場が変だな〜と思うことはありますよ。周りから我々は「演劇のコント」って言われるけど、それは演劇の人からしたら迷惑だと思うし、我々もそんな意識はない。ウェブでやっていることを舞台に上げたって意識なので、演芸の文脈でもないので、演劇でもない気がしてる。劇団ではないんです。運動っぽいものにしたいんですよね。ギャグがやりたいだけなんだから、芸人さんにならなくても演劇人じゃなくてもギャグやっても良いだろ。そんな運動ですかね。

音のアルバム聴きました。過去の公演から選んだ作品が入っていますが、なぜ音のアルバムを作ろうと思ったんですか?

今までやったことをきれいな形に残したかったんですが、音がいいなと。何回も聴けるものを作りたいと思って作りました。
あとコロナ禍に ZOOM での演劇など映像配信を見ていて音質がガビガビで嫌だなって思ったんです。綺麗な音で聴きたい。映像はなくていいんだなって。満足のいくおもしろいものができました。

第6回のテーマはなんですか?

上野公園の水上音楽堂でやります。コロナ禍の後でギャグをやることがめちゃめちゃ大きなテーマではありますよね。春夏はギャグをやる気が起こらなかった。この状態でコントをするってことはコロナ禍があった上で何をするのかっていうことを突きつけられているんですよね。
今の状態ってギャグにとっては割とブルーオーシャンなんです。社会状況が変わって手付かずのことが増えているわけですから、やることは結構あります。
直接的ですけど、コロナ禍があった時、モンティパイソンなら何をやったのかが気になってはいました。そこに寄せることは無理ですけど、そういうテイストを入れたいですね。今までは複雑なコンテクストがあった上での表現をしていたのですけど、それよりはもう少し直接的な、コンテクストを必要としないものに寄せようという意識はあります。
社会状況が抑うつ的なので、わりとすぐ笑えるようにしたいなと思っています。なーんか、この状況を芸術に昇華した崇高な舞台を見たいな~と思ってたんですが、コメディにはコメディのできることがあるなと思って。ズレてしまった日常を笑ってまた新しい日常の規範を作る、みたいなことはコメディの社会的役割だと思います。

コロナ禍で大北さんが感じたことは何かありましたか?

やはり生で見る強烈な何かは失われて気づきましたね。目の前で大きな声出している人がいたら、この人、俺のこと殴るかもしれない……みたいな自分に危険が及ぶかもしれないってことって訴えかける力が全然違う。
オンライン配信は戦う相手が Netflix になるので不利だし。オンライン配信みたいな新しいものを否定するとダサいんですがやっぱり失われたものが悲しくて暗い気持ちにはなりましたね。

短い話と長い話、作るときの意識や考え方は?

今までで一番長いのは「昇悟と純子」っていう舞台が70〜80分。映像は20〜30分ですね。長いのは今後もやりたい、最近やってないけど、あれおもしろかったなって思いますね。ここにこのギャグ入るなとか考えてる時はすごい楽しいですね。やりたいのはギャグ、物語はお土産。
映画の形でギャグやっている人たち、三木聡さんもそうですけどロイアンダーソンとかやっぱりめちゃめちゃおもしろいし好きですけど、あ、でもモンティパイソンの映画はなぜかそんな好きじゃないな。映画でギャグって、難しいですね。

役者で出てる時ってどういう気持ちですか?

あれは単純に楽しいですよ。責任のない演技って一番楽しい。明日のアーに出た一般の人で、拍手を浴びて、あれを浴びちゃったらもう一回出たいって思うっていう人もいましたね。確かに拍手っていうのは、人が浴びてはいけない量の賛辞を浴びているような気がします。

明日のアーが提示している考えは何ですか?

こういうギャグもあるでしょ? こういうやり口もあるんじゃないの? そういうことなのかな〜。
専業主婦の人も、自分が好きって気づいた新しい味ばっかりのお店出したいな〜とか思わないのかな……僕はそういうものに近いかも。

子育てから学んだことは?

子育ては人生の2周目だなって感覚はありますよ。
2周目だから発見できることがある。子どもの運動会を見ていても、こんなおもしろいことしてたのか! とか発見がある。
それまでは自分の外におもしろいことがあるって思っていたんですが、子育て以降は生活の中にあるんじゃないかって思っています。

最後に、明日のアーへ今後の思いを聞かせてください。

恒例行事にしていきたいですね。今年やろうと決めたのは、今年ないと続けてきた習慣がなくなっちゃだろうって思いがあったからなんですよ。
初詣みたいなものだけど、神様がいるものではなく、自分たちの周りで作る行事。明日のアーはみなさんと直接はお知り合いではないけど、それと神社の中間の存在として行事ができればいいですかね。
コロナ禍でなくなるよりかボロボロでもあったほうがいいですね。

大北栄人
1980年生まれ。2006年からwebメディア「デイリーポータルZ」で執筆を始め「してみよう!拾い食い」「リカちゃん人形をダンボールで作ると泣けます」などの記事が話題に。2015年より「明日のアー」というコントユニットを始め、2017年には映像作品で第10回したまちコメディ大賞を受賞した。

明日のアー web : https://asunoah.tumblr.com/
Twitter : @ohkitashigeto

Photo:Makoto Nakamori, Mitsuru Nishimura,Masaou Yamaji
Video:Ryo Kamijo
Text:Makiko Namie, Makoto Nakamori

一般の人でもギャグは楽しめる。

大北栄人 #ライター

「ギャグ」は誰のものか。
「ギャグ」は芸人達だけのものと決めつけていた。
そんな価値観は変わる。
「明日のアー」を観た、何かの匂いを嗅ぎ付けて。
誰かで笑うことが全てではなく
誰にでも誰かを笑わせることができる。
大北さんは言う。
「一般の人でもギャグは楽しめる。」
大北さんの提案する、そんな日常に身を任せても良い、そんな気がした。

大北さんは大学まで大阪ですごされたとのことですが、その頃は何をされていたんでか?

人間科学部で人類学を専攻していました。勉強していなかったですけどね。
大学では音楽サークルでコピーバンドをしていました。みんなで楽しくみたいなノリでやっていたんですけど、俺のやりたいことはこれじゃないんだけどな〜って思いながらズルズルやっていました。
ちゃんとおもしろいことをやりたいんだけどなって。
けど、大阪では全然糸口がなかったですね。何をしたら良いのかわからなかった。

お笑いを意識したのはいつくらいからですか?

子どもの頃から WOWOW でシティボーイズなどのお笑いを見ていました。今考えると当時 WOWOW に入っている文化的アドバンテージはあったと思います。昔はインターネットがないから、テレビの影響はすごく大きかった。
シティボーイズが好きだったので、大学の時、京都精華大学に三木聡さんの講演を聴きに行ったんです。
そこで「辛い(からい)ギャグ」というものがあると言ってらしたんですよね。『無能の人』ってつげ義春の漫画があるんです。『無能の人』って僕は味わいみたいなもので読むんだと思っていたんですが、三木聡さんは「あれはギャグだ」みたいなことを言ってたんですよ。「虚無僧って儲かるのかな」ってセリフがあるんですが、三木聡さんは「子どもじゃわからない、大人だけが好きな辛い(からい)ギャグだ」って言ってて。僕、あ〜なるほどなって思ったんです。全然知らなかった。そんな世界あるのか、この世界知りたい、ギャグの世界知りたいなって思いましたね。
でも、それは普通に生活してても巡り合ったことだったかもしれない。「辛い(からい)ギャグ」は「おもしろがりかた」なので。そういう高度に発展したおもしろがりかたする人いますよね。

その後はどういった経緯で東京に出てきたんですか?

放送作家事務所がセミナーをしていて、それに応募したら来て良いよってことになったので、そのタイミングで東京に来ましたね。でも虚無僧の話とかしてないし、どう振る舞えばいいのかもわからないですよね。20代は暗黒ですね。何がやりたいかもわからなかった。

デイリーポータルZに記事を書きはじめた経緯は?

大学の時に唯一やっていたおもしろいことは石川大樹くん(現在、デイリーポータルZ 編集)と一緒にやっていたインターネットのサイト作りです。そのサイトは小さい雑誌(ミニコミ)をウェブという形でやっていました。
しばらくウェブサイト作りからは離れていたんですが、やっぱりおもしろかったのはあれだな、もう一回やろうってことになりました。
個人でサイト作ったところで有名でもなんでもないので誰も見てくれない。そこで、当時デイリーポータルZにあった「コネタ道場」っていう投稿コーナーに応募することにしました。採用されれば サイト閲覧数が増えるので。それがきっかけですね。気がつかなかったんですが、投稿コーナーは新人を発掘するためにもあるんですよね。みんなもバカにせず応募した方がいいと思います。「コネタ道場」で実績がたまったので、そのままズルズルっとデイリーポータルサイトにお世話になりました。

最初から今まで記事への熱量は衰えてないですか?

「あ、これかも」「これでいいかも」と見えかけたのがやっぱり書きはじめなので、そっからの熱量はやっぱり高いですよね、めちゃめちゃ。ずっと高いんじゃないですかね。20代の頃は暗黒だったので……26歳くらいで見えかけた時はありがたかったですよね。
「おもしろいものを発表したい」というよりも、「おもしろい場所にいたい」の方が強かったんでしょうね。
デイリーポータルZの林さんはひとつの天才で、やっぱり物の見方がめちゃくちゃおもしろいわけです。「辛い(からい)ギャグ」と同じようにおもしろい。大人のおもしろがり方みたいなことをやっている。
林さんは「うんこより大事な用事はない」って言っててまさにそうだなって思ってます(笑)。林さんおもしれえなって。見方がおもしろい人に会える。それはありがたかったですよね。デイリーポータルの集まりに初めて行ってその後の飲み会に参加して、ここはおもしろい人達がいて幸せだな~、となったのを今でも覚えてます。

自分の転機となる記事ってありますか?

毎回なんですけどね。毎回これはおもしろいなって出すんです。けど、反応が来ないな〜の連続ですよね。全然評価されない。ずっと世間との乖離と戦ってる印象です。自分がおもしろいと思うものが世間とは離れていて、そこをどうやって擦り合わせていくのかを考え続けています。

2015年に明日のアーを立ち上げますが、きっかけは何だったんですか?

ずっとコントは書きたいと思っていたんです。シティボーイズが好きだったのでギャグの表現方法としてコントってのはいつかやってみたいと思っていました。トチアキタイヨウさんと松村翔子さんと知り合って、それまで身の周りには舞台上で何かをできる人がいなかったので、俳優さん2人いたらできるなって思ったのもあります。

明日のアーは普段は俳優以外の仕事をしている人たち、いわゆる素人さんも含めて舞台を作っていますが、それはなぜですか?

ママさんバレーみたいな集団でありたいんです。
一般の人でもギャグは楽しめる。少し練習したら人前で何か言って笑ってもらえる。それは結構楽しいことなんだよって知ってもらえればいいなと思うんです。でも葛藤はあります。俳優さんはうまい。うまい人はうまい人にしかできないことやってますからね。

最初はやってみてどうでしたか?世の中のリアクションは?

うおっ、結構ウケるなって。手ごたえはありました。記事よりダイレクトに反応来ますしね。でも今思うとやっている内容に関しては未熟だなって思いますよね。ガンガン回数重ねていけばいいんでしょうけど、他に仕事のある出演者に年2回は声をかけづらい。今でも回数は悩みどころではあります。

35歳で新しいことを始めた思いを聞かせてください。

その時までの自分のリサーチで、35〜40歳までがギャグにおいて一番おもしろい時期だろうなって考えがあったんです。今は社会全体が後ろに行っている感じがするのでどうかわからないですけどね。35歳の時、もうやばいぞって思って始めたんです。ギリギリですね。

2回目から会場を原宿の VACANT に移します。なぜ VACANT で公演したんですか?

僕は最初 VACANT を知らなかった。プロデューサー的な役割だったトチアキタイヨウさんに紹介してもらいました。トチアキさんには何から何まで教わりましたね。VACANT は芸術寄りの人の認知度が高いですよね。見に来てくれる人が、なんで VACANT でやるの? みたいな感じで興味持ってくれましたね。

大北さんが舞台場の横で笑っているのはファンの間では有名ですが、その時は何を考えているんですか?

ああ(笑)。毎回おもしれ〜って思って見てます。俺が好きなギャグをそのまま舞台に上げているんで、そりゃあ俺が一番おもしろいに決まってるなって思います。よく言われますよ、なんであんな笑ってるんですか? って(笑)。だって、俺の好きなギャグだもんって言うしかないですよね。ギャグは嗜好性がありますよね。私はこれが好きってのがはっきりしてる。ほんとうに自分の好きなものを舞台に上げている感覚です。ほっとくと誰も上げてくれないから(笑)。

人気、動員が上がるのは嬉しいですか?

嬉しいです。もちろん。やっぱり元々が乖離しているところから始まってますから。こんなおもしろいはずなのに何でわかんないの? っていう原体験があるので、それを埋めていくような作業ではありますよね。今でもそこは埋まらないですけどね。乖離したまんまです。

ワークショップを始めたのはなぜですか?

そもそもを正直に言うと自分の訓練のためです。普段は演技に対して俳優さんと携わることがないので。劇団の人は通年でやってますからね。それをワークショップという形で一緒に訓練する人が来れば、コメディについて考えましょうっていう、お題目っちゃあお題目なんですが、けっこうちゃんと考えてるので役立ちます。今年も一年ぶりに稽古して、あのワークショップのあれめっちゃ役立ってるなと思うことがあります。

演出は慣れてきますか?

演出って心理的な要素が大きいような気がします。偉く振舞うことに対しての違和感とか、そもそも演技と演出ってめちゃくちゃ変なことなんですよ。
演技は自分の思っていないことを言うわけですよね。それは人格の放棄ですが、人が書いた言葉・喋った言葉をなぞる。でもね、やってみるとそれが気持ちいいんです。何だこれ!? みたいな状態なんです。誰かの言葉を言う、それが気持ちいいっていう状態はやっぱり支配と被支配にあたるわけだし、演出している以上、上下関係が生まれる。最初はフラットでいこうと思ってるんですけど、これは無理だって気がついていく。かといって怖くしよう支配しようって思っているわけじゃない。なんかこれ変だなって意識はずっとありますね。

演劇と明日のアーの違い

立場が変だな〜と思うことはありますよ。周りから我々は「演劇のコント」って言われるけど、それは演劇の人からしたら迷惑だと思うし、我々もそんな意識はない。ウェブでやっていることを舞台に上げたって意識なので、演芸の文脈でもないので、演劇でもない気がしてる。劇団ではないんです。運動っぽいものにしたいんですよね。ギャグがやりたいだけなんだから、芸人さんにならなくても演劇人じゃなくてもギャグやっても良いだろ。そんな運動ですかね。

音のアルバム聴きました。過去の公演から選んだ作品が入っていますが、なぜ音のアルバムを作ろうと思ったんですか?

今までやったことをきれいな形に残したかったんですが、音がいいなと。何回も聴けるものを作りたいと思って作りました。
あとコロナ禍に ZOOM での演劇など映像配信を見ていて音質がガビガビで嫌だなって思ったんです。綺麗な音で聴きたい。映像はなくていいんだなって。満足のいくおもしろいものができました。

第6回のテーマはなんですか?

上野公園の水上音楽堂でやります。コロナ禍の後でギャグをやることがめちゃめちゃ大きなテーマではありますよね。春夏はギャグをやる気が起こらなかった。この状態でコントをするってことはコロナ禍があった上で何をするのかっていうことを突きつけられているんですよね。
今の状態ってギャグにとっては割とブルーオーシャンなんです。社会状況が変わって手付かずのことが増えているわけですから、やることは結構あります。
直接的ですけど、コロナ禍があった時、モンティパイソンなら何をやったのかが気になってはいました。そこに寄せることは無理ですけど、そういうテイストを入れたいですね。今までは複雑なコンテクストがあった上での表現をしていたのですけど、それよりはもう少し直接的な、コンテクストを必要としないものに寄せようという意識はあります。
社会状況が抑うつ的なので、わりとすぐ笑えるようにしたいなと思っています。なーんか、この状況を芸術に昇華した崇高な舞台を見たいな~と思ってたんですが、コメディにはコメディのできることがあるなと思って。ズレてしまった日常を笑ってまた新しい日常の規範を作る、みたいなことはコメディの社会的役割だと思います。

コロナ禍で大北さんが感じたことは何かありましたか?

やはり生で見る強烈な何かは失われて気づきましたね。目の前で大きな声出している人がいたら、この人、俺のこと殴るかもしれない……みたいな自分に危険が及ぶかもしれないってことって訴えかける力が全然違う。
オンライン配信は戦う相手が Netflix になるので不利だし。オンライン配信みたいな新しいものを否定するとダサいんですがやっぱり失われたものが悲しくて暗い気持ちにはなりましたね。

短い話と長い話、作るときの意識や考え方は?

今までで一番長いのは「昇悟と純子」っていう舞台が70〜80分。映像は20〜30分ですね。長いのは今後もやりたい、最近やってないけど、あれおもしろかったなって思いますね。ここにこのギャグ入るなとか考えてる時はすごい楽しいですね。やりたいのはギャグ、物語はお土産。
映画の形でギャグやっている人たち、三木聡さんもそうですけどロイアンダーソンとかやっぱりめちゃめちゃおもしろいし好きですけど、あ、でもモンティパイソンの映画はなぜかそんな好きじゃないな。映画でギャグって、難しいですね。

役者で出てる時ってどういう気持ちですか?

あれは単純に楽しいですよ。責任のない演技って一番楽しい。明日のアーに出た一般の人で、拍手を浴びて、あれを浴びちゃったらもう一回出たいって思うっていう人もいましたね。確かに拍手っていうのは、人が浴びてはいけない量の賛辞を浴びているような気がします。

明日のアーが提示している考えは何ですか?

こういうギャグもあるでしょ? こういうやり口もあるんじゃないの? そういうことなのかな〜。
専業主婦の人も、自分が好きって気づいた新しい味ばっかりのお店出したいな〜とか思わないのかな……僕はそういうものに近いかも。

子育てから学んだことは?

子育ては人生の2周目だなって感覚はありますよ。
2周目だから発見できることがある。子どもの運動会を見ていても、こんなおもしろいことしてたのか! とか発見がある。
それまでは自分の外におもしろいことがあるって思っていたんですが、子育て以降は生活の中にあるんじゃないかって思っています。

最後に、明日のアーへ今後の思いを聞かせてください。

恒例行事にしていきたいですね。今年やろうと決めたのは、今年ないと続けてきた習慣がなくなっちゃだろうって思いがあったからなんですよ。
初詣みたいなものだけど、神様がいるものではなく、自分たちの周りで作る行事。明日のアーはみなさんと直接はお知り合いではないけど、それと神社の中間の存在として行事ができればいいですかね。
コロナ禍でなくなるよりかボロボロでもあったほうがいいですね。

大北栄人
1980年生まれ。2006年からwebメディア「デイリーポータルZ」で執筆を始め「してみよう!拾い食い」「リカちゃん人形をダンボールで作ると泣けます」などの記事が話題に。2015年より「明日のアー」というコントユニットを始め、2017年には映像作品で第10回したまちコメディ大賞を受賞した。

明日のアー web : https://asunoah.tumblr.com/
Twitter : @ohkitashigeto

Photo:Makoto Nakamori, Mitsuru Nishimura,Masaou Yamaji
Video:Ryo Kamijo
Text:Makiko Namie, Makoto Nakamori