強くなっていかなければ
できないこともある

宮崎泰成 #デザイナー

約束の時間には早い。どこで撮影しようかとお店の前をウロウロ歩いていたら、ばったり会ってしまった。「今日はよろしくお願いします。」いつもと変わらぬ優しい雰囲気で話しかけてくる。「GOD SELECTION XXX」代表・宮崎泰成。1989年、東京に生まれ表参道で育つ。私と同世代の憧れの存在である。SNSでは華やかな生活の一部を垣間見ることができる。画面越しでしか見ることがなかった彼との撮影。ひょんなことから知り合いになり撮影を許された。撮影はまだ夏の暑さが残る9月中旬、彼は涼しげで余裕がある。この雰囲気を掴みたいと踠いている時、キラリと光る汗を見てなぜか安心した。その隠しきれない優しさは会った人にしか感じられない特権なのかもしれない。

洋服が好きになったきっかけ何ですか?いつから自分で洋服を買い始めましたか?

自分で洋服を買い始めたのは中学生くらい、洋服との出会い自体は小学生の頃です。建築家の父親の仲間からStüssyのTシャツを頂いて……。小学生なのでStüssyの価値もよくわからず着ていたら雑誌で木村拓哉さんが一緒のTシャツを着ていて、え!すごい!って興奮したのを覚えています。そこからなんとなく洋服を意識し始めました。自分の育っている環境を見渡すと洋服屋さんだらけだと気づいて、いろいろなお店を回りましたね。

中学生の頃はどのブランドを買っていましたか?

StüssyやA BATHING APE®ですね。お年玉や貯めたお小遣いでコツコツ買っていました。同級生には同じように興味がある人がいなかったので、あまり洋服の話はしませんでした。一人で洋服屋さんを回ることが多かったです。並ぶブームだったこともあって、よくお店の前に並んで買っていました。

小宮山書店にご親戚がいるとか?

母親の実家が小宮山書店で、中学の時にはその上に住んでいたこともありました。お手伝いもしていましたよ。古い「VOGUE」とかがおばあちゃんの部屋にあったので、借りて読んだりして。英語はわからないので基本的には写真を見ていました。小宮山書店にはオリジナルプリントがある場合があるので、そういう写真は興味が湧いて作家の名前を調べたりしました。

小さい頃から周りにアートがあった生活ですね。

実家にはピカソ、モネとかありました。小さい絵でしたけど。アートの勉強をした感覚はないですね。何となくですけど、これ良いな。これは有名な人の作品なんだろうなって目利きじゃないですけど、そのような感覚は自分の中にありますね。

大学では洋服の勉強はしていたのですか?

大学にはほぼ行かず、遊び尽くしました(笑)。なので、大人になって変な遊びをしたいって発想に全くならないです。全て早めに卒業しておいたので良かったなって思います(笑)。大学生の頃も洋服は大好きだったので、NEIGHBORHOODやWTAPS、WACKO MARIAの洋服は着ていました。ひたすらお店に足を運んで店員さんとも仲良くなったり。昔の店員さんは今より近くて遠い存在でした。憧れの存在。仲良くなると、発売日を教えてもらったり取置きしてもらったり展示会に呼んでもらったり、人と人のコミュニケーションがそこにあったんですよね。その経験は大きいです。今はオンラインストアが当たり前なので、便利ですが少し寂しいですよね。今後コロナでその傾向は進むと思いますし。

どのような経緯で洋服屋をやろうと思い立ったのでしょうか?

「オマエは会社員生活に向いていない。失敗してもいいから、自分で会社を作って世の中の仕組みがどんなものなのかを経験してみろ」大学2、3年生の頃に父親に言われたんです。それで自分に何ができるか、洋服を作ることしかできないって考えに至ったんです。これだったら皆に認めてもらえるかもと思いました。

お父さんはなぜそう言ったのだと思いますか?

小さい頃に両親は離婚していたので父親と一緒に住んだことがないんですよね。だから父親のことは父親と思えなくて友達っぽい感覚で付き合ってきました。親父は大学を卒業して大学院に行き就職、その後独立。スタンダードな道を歩んできたんだと思うんです。息子の性格を見て何か感じたんだと思います。

その言葉がなくても洋服屋をやっていましたか?

絶対にやっていたと思います。親父には、洋服屋さんをやる! と言ったら、それは止めた方がいいんじゃないか? とは言われましたけどね。親父以外の人にも、ほぼ全員に言われました。「洋服って売れない時代でしょ?」って。
でも自分はそれしかできなかったので人に何を言われようが作りました。

Tシャツブランドを始める理由は?

洋服って色々、スタイルがあるじゃないですか。ストリート?ロック?全てTシャツっていう要素は絶対あるんですよね。ジャケットにもライダースにもTシャツは似合う。Tシャツを持っていない男子なんていないじゃないですか?年齢も若い人からおじいちゃんまで着てもらえる。もちろん裏原にはTシャツは欠かせないものなのですがTシャツ屋さんのブランドはなかったので、それに特化するのも面白いと思っていました。メッセージTシャツは多かったんですがフォトTシャツが少なかったのもあります。ふざけたデザインだけど、すごいクオリティの商品を作る。そんなギャップも面白いと思いましたね。
経験談なんですが、好きなブランドのTシャツを並んで買ったのに一回洗っただけで縮んだり穴が開いたり……悲しい思いをたくさんしてきたので、良い生地で何回も着られるということは意識しましたね。自分が欲しいと思える商品を作っています。単純ですよ。最初は。

会社はどのように立ち上げ、どうやってここまできたのでしょうか。

運営の仕方は誰も教えてくれなかった。失敗してわかっていく。最初のお金はどうしたんですか? とか、よく聞かれるんですが、100万円もかかっていないんですよ。オンラインストアを始めるお金とTシャツ100枚作るお金だけです。親から援助してもらったわけでもないです。今くらい様々なことが大きくなっても、100枚作って100枚売る感覚と同じです。作った洋服は全部売り切りたい。それは変わらない。コツコツと枚数を増やして売ってきただけ。売り方も始めた頃と変わっていないです。毎月25日前後に新商品を発売する。それを8年間続けてきただけなんですよね。
いくら熱量があっても世の中は残酷なんですよね。最初作った100枚というのは生地屋さんにとっては本当に少ないロッドで。最初は舐められるんですよ。どんどん大きくなってきて相手してもらえるようになってきました。
ある程度、お金や数を動かさないと相手にしてもらえない現実もありますよね。その都度、僕らが思うベストは出しています。日々勉強していく中でアップデートされていきます。無理するのも違うと思うんで。今でも生地屋さんと、もっといい生地はないか常に話し合っています。縫製や生地の細かい変更はものすごいしていますよ。
お客様の声ってすごく重要で、InstagramのDMは必ず読んでいます。店員たちにも意見を聞く。会社のメール、ディーラーさんからの意見も大事です。こんなクレームがあったとか。割と僕は真に受けますね。常に自分のベストはやれたら良いなと思っています。

大人になった今、子供の頃から見たり買ったりしてきたブランドと自分のブランドがコラボするとなった時ってどんな感情ですか?

嬉しいですよ。楽しいし。夢がひとつ叶った感覚です。不思議な気持ちですよね。好きなお店に自分のブランドの名前がついた商品が置いてあるのは。少し認められた感覚もありますし。なんでもそうだと思うのですが、何でもコラボだけしたら良いって感覚はなくて、相性などきちんと考えていいものが作れるなってブランドとコラボしています。実際に作った商品を販売してみて、お客様が買ってくれた時にハマって良かった〜〜って安心しますね。それまでは不安が多いですよ。コラボが決まっても、僕らがやってしまって大丈夫なのかな? 本当に売ってもらえるのかな? とかドキドキし続けています。自己満足にならないことが大切です。もちろん失敗することもありますが、それも勉強です。

普段のインプットはどのようにしていますか?

生きている時間、全てがインプットですね。無駄なことは何もないです。デザインもずっと考えているんですよ。遊んでいるときも面白いことがあったら、それもデザインのアイディアになる。寝てる以外はずっと遊んでて仕事してますよ。

SNSとの向き合い方は?

やっていることを全て説明するのがあまり好きじゃないんですよね。勝手にやって感じ取って欲しい。SNSは便利すぎるんですよね。例えば僕らが「10」書いてしまったら、そこから想像しない。なので「3」くらいで留めて探ってくれる。その関係が心地よい。それは僕が昔、店員さんと仲良くなっていった感覚に近いんだと思います。

アパレルの新規参戦って難しいんですか? どのような思いでやってきたんですか?

簡単じゃない。裏原のブランドに勝とうと思うのではなく、自分のできることをコツコツしてきただけです。8年間続けてきて、本当に継続は力なりだと思います。辛いことがあっても止まらないでやり続けた結果が、今ブランドができているってことだと思います。やっていると自信にもなります。8年かけて作り上げてきたものは一瞬じゃ崩れないですよ。XXXはフォトTシャツが好きな人が買ってくれるんだと思うんですが、そればっかりやっていたらダメだと思って、無地やメッセージTシャツを作ったりしました。最初は売れなくても、フォトTシャツを飽きた人が買ってくれたり、メッセージTシャツからXXXを知ってくれる人も出てきたり。ただ一つのTシャツですが色々な見せ方があるんで。やりながら今のXXXができあがってきました。
一発屋のように見られることが多いんです。そんな風に見てくれた方が楽なんですけどね。どうせ親の金でやってるとか、親がお金持ちだからとか、言われたときにそうじゃないって否定するのは楽なんですけど、そう思われてる方がもっと楽。自分が稼いだお金で車やアートを買うのは僕の勝手だし、わかってくれる人にわかってもらえればいいと思います。

今後の宮崎さんの活動はどのように展開していく予定ですか?

できることをやっていくだけです。
今の時代は洋服が好きなんじゃなくて、流行っているものが好きって人が多いように感じます。有名ブランドとコラボする場合、カルチャーをわかってきてくれるようになったらいいなって思いますよね。もちろん、そこまでわかって着る必要はないんですけど、好きなスタイルがあって洋服を着て欲しい。もう少しフラットに服を楽しむ。そんな風になればいいな、って思います。

宮崎泰成
GOD SELECTION XXXのオーナー兼デザイナー
様々なカルチャーをMIXし、スタイル問わず着られるTシャツブランドとして2013年にスタート。
世界的なアーティストやモデルをソースとした、アイコニックなフォトTシャツが代表的です。
国内でも極少数の店舗でのみ展開。
Official web : https://god-selection-xxx.com
Instagram : @god_selection_x_x_x_
Nari : @nari_x_x_x_

Photo:Makoto Nakamori, Masaou Yamaji
Text:Makiko Namie, Makoto Nakamori

強くなっていかなければ
できないこともある

宮崎泰成 #デザイナー

約束の時間には早い。どこで撮影しようかとお店の前をウロウロ歩いていたら、ばったり会ってしまった。「今日はよろしくお願いします。」いつもと変わらぬ優しい雰囲気で話しかけてくる。「GOD SELECTION XXX」代表・宮崎泰成。1989年、東京に生まれ表参道で育つ。私と同世代の憧れの存在である。SNSでは華やかな生活の一部を垣間見ることができる。画面越しでしか見ることがなかった彼との撮影。ひょんなことから知り合いになり撮影を許された。撮影はまだ夏の暑さが残る9月中旬、彼は涼しげで余裕がある。この雰囲気を掴みたいと踠いている時、キラリと光る汗を見てなぜか安心した。その隠しきれない優しさは会った人にしか感じられない特権なのかもしれない。

洋服が好きになったきっかけ何ですか?いつから自分で洋服を買い始めましたか?

自分で洋服を買い始めたのは中学生くらい、洋服との出会い自体は小学生の頃です。建築家の父親の仲間からStüssyのTシャツを頂いて……。小学生なのでStüssyの価値もよくわからず着ていたら雑誌で木村拓哉さんが一緒のTシャツを着ていて、え!すごい!って興奮したのを覚えています。そこからなんとなく洋服を意識し始めました。自分の育っている環境を見渡すと洋服屋さんだらけだと気づいて、いろいろなお店を回りましたね。

中学生の頃はどのブランドを買っていましたか?

StüssyやA BATHING APE®ですね。お年玉や貯めたお小遣いでコツコツ買っていました。同級生には同じように興味がある人がいなかったので、あまり洋服の話はしませんでした。一人で洋服屋さんを回ることが多かったです。並ぶブームだったこともあって、よくお店の前に並んで買っていました。

小宮山書店にご親戚がいるとか?

母親の実家が小宮山書店で、中学の時にはその上に住んでいたこともありました。お手伝いもしていましたよ。古い「VOGUE」とかがおばあちゃんの部屋にあったので、借りて読んだりして。英語はわからないので基本的には写真を見ていました。小宮山書店にはオリジナルプリントがある場合があるので、そういう写真は興味が湧いて作家の名前を調べたりしました。

小さい頃から周りにアートがあった生活ですね。

実家にはピカソ、モネとかありました。小さい絵でしたけど。アートの勉強をした感覚はないですね。何となくですけど、これ良いな。これは有名な人の作品なんだろうなって目利きじゃないですけど、そのような感覚は自分の中にありますね。

大学では洋服の勉強はしていたのですか?

大学にはほぼ行かず、遊び尽くしました(笑)。なので、大人になって変な遊びをしたいって発想に全くならないです。全て早めに卒業しておいたので良かったなって思います(笑)。大学生の頃も洋服は大好きだったので、NEIGHBORHOODやWTAPS、WACKO MARIAの洋服は着ていました。ひたすらお店に足を運んで店員さんとも仲良くなったり。昔の店員さんは今より近くて遠い存在でした。憧れの存在。仲良くなると、発売日を教えてもらったり取置きしてもらったり展示会に呼んでもらったり、人と人のコミュニケーションがそこにあったんですよね。その経験は大きいです。今はオンラインストアが当たり前なので、便利ですが少し寂しいですよね。今後コロナでその傾向は進むと思いますし。

どのような経緯で洋服屋をやろうと思い立ったのでしょうか?

「オマエは会社員生活に向いていない。失敗してもいいから、自分で会社を作って世の中の仕組みがどんなものなのかを経験してみろ」大学2、3年生の頃に父親に言われたんです。それで自分に何ができるか、洋服を作ることしかできないって考えに至ったんです。これだったら皆に認めてもらえるかもと思いました。

お父さんはなぜそう言ったのだと思いますか?

小さい頃に両親は離婚していたので父親と一緒に住んだことがないんですよね。だから父親のことは父親と思えなくて友達っぽい感覚で付き合ってきました。親父は大学を卒業して大学院に行き就職、その後独立。スタンダードな道を歩んできたんだと思うんです。息子の性格を見て何か感じたんだと思います。

その言葉がなくても洋服屋をやっていましたか?

絶対にやっていたと思います。親父には、洋服屋さんをやる! と言ったら、それは止めた方がいいんじゃないか? とは言われましたけどね。親父以外の人にも、ほぼ全員に言われました。「洋服って売れない時代でしょ?」って。
でも自分はそれしかできなかったので人に何を言われようが作りました。

Tシャツブランドを始める理由は?

洋服って色々、スタイルがあるじゃないですか。ストリート?ロック?全てTシャツっていう要素は絶対あるんですよね。ジャケットにもライダースにもTシャツは似合う。Tシャツを持っていない男子なんていないじゃないですか?年齢も若い人からおじいちゃんまで着てもらえる。もちろん裏原にはTシャツは欠かせないものなのですがTシャツ屋さんのブランドはなかったので、それに特化するのも面白いと思っていました。メッセージTシャツは多かったんですがフォトTシャツが少なかったのもあります。ふざけたデザインだけど、すごいクオリティの商品を作る。そんなギャップも面白いと思いましたね。
経験談なんですが、好きなブランドのTシャツを並んで買ったのに一回洗っただけで縮んだり穴が開いたり……悲しい思いをたくさんしてきたので、良い生地で何回も着られるということは意識しましたね。自分が欲しいと思える商品を作っています。単純ですよ。最初は。

会社はどのように立ち上げ、どうやってここまできたのでしょうか。

運営の仕方は誰も教えてくれなかった。失敗してわかっていく。最初のお金はどうしたんですか? とか、よく聞かれるんですが、100万円もかかっていないんですよ。オンラインストアを始めるお金とTシャツ100枚作るお金だけです。親から援助してもらったわけでもないです。今くらい様々なことが大きくなっても、100枚作って100枚売る感覚と同じです。作った洋服は全部売り切りたい。それは変わらない。コツコツと枚数を増やして売ってきただけ。売り方も始めた頃と変わっていないです。毎月25日前後に新商品を発売する。それを8年間続けてきただけなんですよね。
いくら熱量があっても世の中は残酷なんですよね。最初作った100枚というのは生地屋さんにとっては本当に少ないロッドで。最初は舐められるんですよ。どんどん大きくなってきて相手してもらえるようになってきました。
ある程度、お金や数を動かさないと相手にしてもらえない現実もありますよね。その都度、僕らが思うベストは出しています。日々勉強していく中でアップデートされていきます。無理するのも違うと思うんで。今でも生地屋さんと、もっといい生地はないか常に話し合っています。縫製や生地の細かい変更はものすごいしていますよ。
お客様の声ってすごく重要で、InstagramのDMは必ず読んでいます。店員たちにも意見を聞く。会社のメール、ディーラーさんからの意見も大事です。こんなクレームがあったとか。割と僕は真に受けますね。常に自分のベストはやれたら良いなと思っています。

大人になった今、子供の頃から見たり買ったりしてきたブランドと自分のブランドがコラボするとなった時ってどんな感情ですか?

嬉しいですよ。楽しいし。夢がひとつ叶った感覚です。不思議な気持ちですよね。好きなお店に自分のブランドの名前がついた商品が置いてあるのは。少し認められた感覚もありますし。なんでもそうだと思うのですが、何でもコラボだけしたら良いって感覚はなくて、相性などきちんと考えていいものが作れるなってブランドとコラボしています。実際に作った商品を販売してみて、お客様が買ってくれた時にハマって良かった〜〜って安心しますね。それまでは不安が多いですよ。コラボが決まっても、僕らがやってしまって大丈夫なのかな? 本当に売ってもらえるのかな? とかドキドキし続けています。自己満足にならないことが大切です。もちろん失敗することもありますが、それも勉強です。

普段のインプットはどのようにしていますか?

生きている時間、全てがインプットですね。無駄なことは何もないです。デザインもずっと考えているんですよ。遊んでいるときも面白いことがあったら、それもデザインのアイディアになる。寝てる以外はずっと遊んでて仕事してますよ。

SNSとの向き合い方は?

やっていることを全て説明するのがあまり好きじゃないんですよね。勝手にやって感じ取って欲しい。SNSは便利すぎるんですよね。例えば僕らが「10」書いてしまったら、そこから想像しない。なので「3」くらいで留めて探ってくれる。その関係が心地よい。それは僕が昔、店員さんと仲良くなっていった感覚に近いんだと思います。

アパレルの新規参戦って難しいんですか? どのような思いでやってきたんですか?

簡単じゃない。裏原のブランドに勝とうと思うのではなく、自分のできることをコツコツしてきただけです。8年間続けてきて、本当に継続は力なりだと思います。辛いことがあっても止まらないでやり続けた結果が、今ブランドができているってことだと思います。やっていると自信にもなります。8年かけて作り上げてきたものは一瞬じゃ崩れないですよ。XXXはフォトTシャツが好きな人が買ってくれるんだと思うんですが、そればっかりやっていたらダメだと思って、無地やメッセージTシャツを作ったりしました。最初は売れなくても、フォトTシャツを飽きた人が買ってくれたり、メッセージTシャツからXXXを知ってくれる人も出てきたり。ただ一つのTシャツですが色々な見せ方があるんで。やりながら今のXXXができあがってきました。
一発屋のように見られることが多いんです。そんな風に見てくれた方が楽なんですけどね。どうせ親の金でやってるとか、親がお金持ちだからとか、言われたときにそうじゃないって否定するのは楽なんですけど、そう思われてる方がもっと楽。自分が稼いだお金で車やアートを買うのは僕の勝手だし、わかってくれる人にわかってもらえればいいと思います。

今後の宮崎さんの活動はどのように展開していく予定ですか?

できることをやっていくだけです。
今の時代は洋服が好きなんじゃなくて、流行っているものが好きって人が多いように感じます。有名ブランドとコラボする場合、カルチャーをわかってきてくれるようになったらいいなって思いますよね。もちろん、そこまでわかって着る必要はないんですけど、好きなスタイルがあって洋服を着て欲しい。もう少しフラットに服を楽しむ。そんな風になればいいな、って思います。

宮崎泰成
GOD SELECTION XXXのオーナー兼デザイナー
様々なカルチャーをMIXし、スタイル問わず着られるTシャツブランドとして2013年にスタート。
世界的なアーティストやモデルをソースとした、アイコニックなフォトTシャツが代表的です。
国内でも極少数の店舗でのみ展開。
Official web : https://god-selection-xxx.com
Instagram : @god_selection_x_x_x_
Nari : @nari_x_x_x_

Photo:Makoto Nakamori, Masaou Yamaji
Text:Makiko Namie, Makoto Nakamori